四面楚歌

RISCの検討にはLSIからコンパイラまで、相当な数の人を動員する必要があった。そしてその検討の必要性は、小型機だけでなく、大型機についても同じだと思われた。

小型機は内臓の制御機構が多いので、プロセッサが専門の技術者はごくわずかだった。RISCは全工場をあげて検討するべきだと考えていた。

しかし、その実現は困難を極めた。

「われわれにはメインフレームというドル箱があるんで、RISCなんか検討する必要はない。サンとかHPはメインフレームを持ってないからRISCを始めたんだ」

という意見が大勢を占めていた。当時は85年に出荷を開始したM-680とそのPCM機の商売が絶好調だった。RISCよりも次期大型機の開発に全精力を注ぎ込むべきだと考えられていた。その大型機も将来が危ないのだという意見は説得力を欠いていた。

それでもあきらめずに食い下がると、

「もし本当に必要になったら、やる気になったら、あんなものはすぐ開発できる。たかがLSI 1個じゃないか。われわれは1機種に何百種類ものLSIを開発しているんだ」

という人もいた。しかし、同じLSIでも大型機用のゲートアレイとRISC用の百万トランジスタを超えるフルカスタムのLSIでは開発手法もまったく違った。そしてRISCの性能を引き出すには高品質のコンパイラの開発も不可欠だった。

「もし商売に必要になったら、他社から買ってくればいい」

という人もいた。しかし、汎用コンピュータがなくなった時、RISCを他社から買ってきたのでは、われわれは食っていけなくなるのは明らかだった。

「RISCというが、最近は命令数がどんどん増えて、ちっとも、『Reduced Instruction Set』じゃなくなり、CISC (Complex Instruction Set Computing) と変わらなくなったじゃないか。何がいいのかどうも分からん。俺はRISCはきらいだ」

という人もいた。確かに「Reduced Instruction Set」という名前はRISCの本質をあまりよく表していなかった。命令長が一定で1サイクルで実行でき、従って命令のデコードが容易で、パイプライン制御(流れ作業処理)もしやすい、ということがより本質だった。しかし、名前に惑わされて、命令数が少ないことが特徴だと思っている人も多かった。

「そんなにやりたいんなら、自分の部でやればいいじゃないか」

という人もいた。全工場の将来がかかっているという認識はなかなか得られなかった。

そして、サンとHPからRISCについての話が持ちかけられると、

「海外から声がかかると、喜んでシッポを振って出かけて行く」

という人もいた。しかし、RISCの種類は世界中でもそんなに多数必要ではなく、RISCを始めるなら他社のどこかと組むことが必須だった。

まさに四面楚歌だった。これらの意見に反論することは、信じている宗教を改宗させるようなものだった。RISCの立ち上げは難航を極めることが予想された。孤立無援の日が続いたが、いつかはRISCが必要になる日が来ると固く信じていた。

理解を示してくれる人が少しづつ現れ出したのはしばらく経ってからだった。そして当時の三浦武雄副社長が熱心に推進されたこともあって、日立でもRISCに本格的に取り組むことになった。


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