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Things must be as simple as possible.

前に記したように、1987年にヨーロッパやアメリカに何回か出張し、世の中は汎用機とは違う方向に変りつつあることを肌で感じた。

その頃世に中ではRISC (Reduced Instruction Set Computing) の技術が注目を集めていた。サン・マイクロシステムズ(以下サン)がSPARCというRISCを発表し、ヒューレット・パッカード(以下HP)がPA RISC (当時はHPPAと呼ばれていたが本書では改名後のPA RISCに統一)というRISCを発表していた。両者ともOSにはUNIXが使われていた。

そのため、両社のRISCの文献を工場の図書室で借りてコピーし、87年の年末から88年の正月にかけての休みに読んだ。

そして「RISCとUNIXでコンピュータの世界が変る」と確信した。

汎用コンピュータの世界には前々から疑問を感じていた。

コンピュータの進歩は、煎じ詰めれば、半導体の進歩をコンピュータに適用してきたものに過ぎなかった。

その半導体は、有名なムーアの法則の通り、70年代から80年代を通じ、1年半で2倍になる進歩を続けていた。

メモリーについては文字通りこの法則が当てはまった。半導体のプロセス技術の進歩で3年毎に4倍の容量のメモリが出現した。そして容量が増えても量産が軌道に乗れば価格は前世代のものと変わらなかった。

1.5年で2倍ということは、30年で220倍、つまり210(約1,000)の2乗倍なので、100万倍ということになる。ということは10年で100倍である。

半導体メモリーが現れた1970年頃1メガバイトのメモリーは約1億円していた。それが、80年には約100万円になった。そして90年には約1万円になるだろうと言われていた。言い換えれば、10年経つと、同じ値段で100倍の容量のメモリーを買うことができたのである。

ところが汎用コンピュータの価格は違った。

70年代、80年代を通じ、各社はほぼ5年毎に新シリーズを発表してきたが、価格性能比の改善はほぼ3倍程度だった。つまり10年経っても価格性能比は約10倍程度にしか改善されていなかった。半導体の進歩を充分に取り込み切れていなかった。

その原因は、IBMをはじめとするコンピュータ・メーカーの政策もあったが、汎用コンピュータの技術的限界が大きかった。このトレンドはいつか破綻を来すだろうと思っていた。

一方、RISCは1個のLSIでCPUを実現するので、LSIの力をフルに活用でき、LSIの高集積化、高速化をじかにCPUの高速化、低価格化に反映することができるように思われた。現に、SPARCもPA RISCも驚くほど高性能だった。RISCは汎用コンピュータの壁を突き破る力を秘めていると思われた。

PA RISCは、IBMの研究所でRISCの研究をし、その後HPに移ったジョエル・バーンボーム(Joel Birnbaum)博士が開発したものだった。この人の論文は哲学的なものだった。HPの雑誌に載っていた論文の中に、私の記憶が正しければ、

"Things must be as simple as possible. But not too simple." (ものごとはできるだけ単純でなければならない。単純すぎてはだめだが)

という言葉があり、はっとさせられた。

汎用コンピュータの仕様は当初から複雑だったが、年を追う毎に複雑さが増していた。それをRISCは思い切って単純化し、当時の1個のLSIで、できるだけ高い性能のCPUを実現できるような仕様になっていた。そしてこれは、将来LSIが進歩すれば、さらに高速化が期待できるものだった。

もちろん汎用コンピュータ用に作られた莫大なソフトウェアの資産があるので、すぐに汎用コンピュータがなくなることはない。90年代の前半はまだ大丈夫だろうが、90年代の後半にはRISCの時代が来るだろうと思った。

そのため、88年の始めから本格的にRISCの検討を開始した。


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