Prisoners in Paradise

 

開発の方向づけが固まると、正式な契約を締結することになった。

契約書の案をベースにして、最後の詰めの交渉と契約書のサインをハワイで行うことになった。1990年4月に、両社の関係者がゴルフ場のコッテージに分宿し、1週間缶詰になって行った。

日立の団長は浦城さんで、本社の西川晃一郎さんが英語での折衝の窓口と契約書の文章の責任者だった。HPの団長はピーター・ローゼンブラット(Peter Rosenbladt)という人だった。

契約はRISCに関連する技術を相互に対価なしで供与しあうものだった。PA RISCのチップをHPの協力の下に日立が開発するというのがこの契約の一部で、契約書のその章の日立側の責任者は私で、HP側の責任者はデニー・ジョージ(Denny Georg)という人だった。

日立の狙いはPA RISCに関する技術の入手で、HPの狙いは半導体技術の入手だった。お互いに渡すものは少なく、受け取るものは多くしようとするので交渉は難航した。

最終的には何とかまとまったが、まとめ役の浦城さんはずいぶんはらはらされたことと思う。しかし、交渉ごとはゲームである。ある程度リスクを冒さないと望ましい結果は期待できないものだ。

私は交渉の席での発言をできるだけ控え、極力ほかの人に前面に出てもらった。私一人で何でもやっていると、RISCの支持層がさっぱり増えないので、できるだけほかの人に活躍してもらって層を厚くしようと思っていた。

しかしこれはあとで散々文句を言われた。確かに交渉の席では全員一丸になって声を揃えて主張した方がいいことは間違いなかった。私の真意を理解してもらうのは難しかった。

細かい点の詰めで、契約の交渉は連日午前2時、3時まで続いた。契約書の文章が変るたびに、HPが連れてきたタイピストがタイプし、それをコピーして関係者に配る。とうとう最後にはHPが持ってきたコピー機が、連続して使いすぎたため壊れてしまった。

アメリカ人も、働く時は働くものだと感心した。朝、目を覚ますと、もうジョギングをしている人がいてその体力には舌を巻いた。われわれは仕方ないにしても、つきあわされたタイピストの女性は気の毒だった。

最後にやっと契約書の文章がまとまると、ジョージさんと私は、担当していた章の全ページにサインをした。それが終ったのは午前4時頃になっていたように思う。サインが終って二人で握手をしている写真があるが、ひげが濃い私は、もう顔の下半分がまっ黒になっていた。

後でHPがこの交渉の記念の飾り物を作って関係者に配った。それにはハワイの地図が描いてあって、「Prisoners in Paradise」(楽園の囚人たち)と書かれていた。両社の関係者は1週間ゴルフ場にいてゴルフもしないで頑張った。それどころか半徹夜の連続だった。


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