ロッカールームで異動の示達

1986年の2月まで、私は日立製作所の神奈川工場でCPU設計部を担当していた。この部の仕事はM-240、M-220、M-660、M-640等の中型汎用コンピュータの開発だった。

1985年に、そのうちのM-240を中国に技術供与することになった。その関係で86年1月末に北京に出張した。前年から3回目の北京訪問だった。基本契約は85年5月に、当時の李鵬副首相と日立の浅野副社長が出席して締結されていたのだが、実行する上でなかなか折り合いが着かず、何回も話し合いが続いていた。

週末に出張から帰って、月曜日の朝ロッカールームで着替えていると、ある部長が、

「酒井さん、今度はDIPS設計部ですね」

と言う。私は驚いて、

「えっ、何も聞いてないですよ」

と言った。前の週に定期異動の発表があったのだそうだ。

あとで総務部長に聞いたら、北京まで電話で連絡しようかと思ったが、どうせ月曜日には出社するからと、やめたのだそうだ。会社にとっては電話代の節約の方が重要だったようだ。

こうして私はCPU設計部からDIPS設計部に移ることになり、前任者の岡田康行さんからDIPS設計部の仕事を引き継いだ。


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