M-620/630ファミリーの共通化作戦

 

「できないなら放り出せ!」

 

当時のDIPS設計部のおもな仕事は小型コンピュータの開発だった。L-450/470/490の出荷が前年から始まっていた。そして次期製品の開発の真っ最中だった。これは後にM-620/630として世に出た。永福克晟(よしあき)君達が担当していた。

L-400シリーズとM-620/630の間には技術的にもビジネス上も大きいギャップがあった。

L-400シリーズはL-330の流れを継承するもので、両者は同じアーキテクチャで、ともにVOS0系のOSを使うものだった。

一方M-620/630は、上位機種のMシリーズと同じアーキテクチャで、上位機種と同じOSが使われることになっていた。汎用コンピュータとは別のOSを使う、いわゆるオフコンの市場は旭工場に任せ、神奈川工場は汎用コンピュータの市場を担当するという考えによるものだった。

このMアーキテクチャの世界はDIPS設計部としてははじめての経験だった。その上、このM-620/630をベースにした装置をいろいろなシステムで使いたいという要求が起きていた。

そのひとつは銀行の営業店の端末コントローラとして使いたいというもので、他のひとつは証券会社の営業店の端末コントローラとして使いたいというものだった。さらにもうひとつの要求はPOSのストア・コントローラとして使いたいというものだった。

これらにはみんな、DPOSというリアルタイム・システム用の軽いOSが使われ、M-620/630とはメモリ・アドレスの制御、ディスクの仕様等が違っていた。また、細かい点ではお互いにみんな違っていた。

これらのさまざまな要求をどうさばくかが問題だった。つまり、全部まとめてDIPS設計部で引き受けるか、それとも、共通に使える部品だけ提供して、それぞれ要求元の部署に装置を設計してもらうかだった。

みんなの話を聞いて、バラバラなことを言っている各システム設計部門の要求をまとめて引き受けるのは大変なことだと思った。何せ、各システム設計の要求は三和銀行とか野村證券の要求に基づくものだったからである。

そんなある日、当時の谷 恭彦工場長のところに行く用事があった。用件が終ると谷さんが、

「ところで、あれは全部できるんか? できないんならさっさと放り出せ」

と言われた。突然そう言われて驚いたが、「そうか、谷さんはDIPS設計部の態度が煮え切らないのに業を煮やしているんだ。それを谷さん一流の表現でこう言ったんだ」と思った。そこで私は言った、

「いや、できます。全部うちで引き受けます。これがこれからのDIPS設計部の飯の種です」

私があんまりあっさり答えたので、谷さんは少し驚いた様子だった。

私にもまだそんなに成算があるわけではなかった。しかしこんなものを別の部署がバラバラに設計していたら会社がおかしくなるのは目に見えていた。人をかき集めてでも一個所でまとめて設計するべきだと確信していた。そして、M-620/630ファミリーの本格的な交通整理はまだ未着手で、整理する余地はまだ充分にあると思っていた。

そして、まとめて引き受ければ生産台数が増えることがうれしかった。コンピュータは、原価に占める開発費の割合が大きいので、台数が増えることによって開発費の負担が薄められるメリットは大きかった。


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