DIPSの幕引き

 

「分かれて散る設計じゃ困る」

 

DIPS設計部は元の電電公社のDIPSプロジェクトのCPUを開発するために1970年頃作られた部だった。従って当初は、DIPSのCPUはすべてこの部で開発され、またこの部は他の仕事をまったくしていなかった。名実ともに「DIPS設計部」だった。

当初はDIPSのシステムを構成する機器は、周辺装置も含めて、すべてDIPS専用のものだった。しかし時が経つにつれ、周辺装置から次第に汎用製品との共通化が進んでいった。

最後まで専用製品が使われていたCPUについても、大型機については80年代後半のものから汎用製品との共通化が図られた。私が前にいたCPU設計部がその開発を担当していた。

一方DIPS設計部はその後、一般マーケット向けの小型機や、レーザービーム・プリンタの制御装置を担当するようになっていた。

従って、DIPS設計部という名称はもう実態にそぐわなくなっていた。

そしてこの部の今後の柱は何と言っても汎用の小型機だった。

組織の名前は、しょせん呼称にすぎない。しかし、その組織の位置づけ、特にその組織が今後力を入れようとしている分野を内外にはっきり示すことは重要である。「たかが名前、されど名前」である。

この際、部の名前を変えたいと、谷さんのところへ行って、

「DIPS設計部という名前はもう実態にそぐわないので、部の名前の変えさせて下さい」

と言うと、いいと言われる。そこで私は、

「神奈川工場の中では小型機を担当しているので、『小型設計部』という名前も考えられますが、買ってくれるお客さんは必ずしも小型機と思ってないので、どうもお客さんに与える印象がよくないようです」

と言った。そして当時、小型機による分散処理とか分散コンピュータという言葉がはやっていたので、

「『分散処理設計部』というのはどうですか?」

と伺った。すると即座に、

「『分散』というのは語感が悪い。分かれて散る設計じゃ困る」

散々考えた案を一言の元に却下されてしまった。二三日経ってから、また谷さんのところに行って、

「いい案が浮かびません。やっぱり素直に『小型設計部』でいきたいと思います」

と言うと、

「何だ。お前はこの前『小型』は駄目だと言ったじゃないか。もっと真面目に考えろ」

これには困ってしまったが、考えてみると大型機を担当している「開発部」だけが開発をしている訳ではなく、中型機を担当している「CPU設計部」だけがCPUの設計をしているわけでもなかった。それぞれいきさつがあってそういう名前になっていたのだが、名前が実態にそぐわないのはDIPS設計部だけではなかった。

そこで、総務部とも相談して、この際この三つの部の名前をプロセッサ第1設計部から第3設計部までに変更する案を提案した。

最終的には「開発部」の名称は残すことになり、「CPU設計部」を「プロセッサ第1設計部」に変更し、「DIPS設計部」を「プロセッサ第2設計部」に変更することになった。

職制改正の案件が日立の常務会にかかる前日、私が日立工機に出張していると、神奈川工場の総務から電話が入り、NTT出身の役員の了解を取ってくれと言う。そこまでは気が回っていなかった。いっしょに出張していた副工場長の遠藤 誠さんにNTT出身の福富禮次郎専務に電話をかけ了解を取って頂いた。スムーズに事を運ぶには根回しが重要だった。総務部の気配りで事無きを得た。

こうして神奈川工場からDIPS設計部がなくなった。私が部長に就任してから半年経った86年8月だった。

DIPS設計部の最初の部長は高橋 茂さんだった。その後、萱島興三さん、西田治義さん、遠藤 誠さん、岡田康行さんと続き、私は6代目で最後のDIPS設計部長となった。

毎年7月の始め頃、DIPS会という立食パーティーが開催され、日立でかつてDIPSに関係した人達が一同に集まる。私も大体出席しているが、私はDIPSの幕引き役だったので、この会ではいささか肩身が狭い。


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