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パレルモ

路地のレストランで食事

ナポリで5泊した後、パレルモに移動した。作曲家のリヒャルト・ヴァーグナーは晩年の1881年から1882年にかけて家族とパレルモに住んでいたという。その通りには現在彼の名がついていて、そこに彼の名がついたホテルがある。

私はヴァーグナーが特に好きというわけではないが、こういうところに泊まるのも一興と、このホテルに5日間滞在することにした。バスターミナルが近く、出かけるのに便利なためもあった。パレルモには地下鉄はない。

夜の食事は、歩いていける近所のレストランに行った。生の地魚が並べてあって、食べたいものを選んで料理してもらう。名前も見かけもなじみのない魚だらけなので、店の人の話を聞いて、適当に頼んだ。

料金を払う段になって、「今日は機械が壊れているので、クレジットカードは使えません」と言う。「申し訳ありません」とも言わない。たまたまその日は現金を持ち合わせていたので問題はなかったが、一見ちゃんとした店の割にはいい加減なところが、いかにもイタリアらしい。

料理が気に入ったので、もう一度そこに行った。事前に電話で、「今日はクレジットカードが使えますか」と聞くと、「今日は大丈夫」と言うので安心して出かけた。

別の日は、「テアトロ・マッシモ」という大劇場の前の細い路地にあるレストランに行った。店内でも食べられるのだが、ちょうどサッカーのワールドカップの中継中で大騒ぎをしていたので、路地の両側に並べてあるテーブルで食べることにした。道の両側をテーブルが占めているので、その間はやっと人が一人通れるぐらいの幅しか空いてないが、長年の既得権益なのだろう。

料理を盛った皿が大きなテーブルに並べてあって、渡してくれた空の皿にそこから食べたいものを取る。どんなに山盛りにしても、一皿に納まれば定額だという。魚介類や野菜が中心で、なかなかよかったので、そこにも2回行った。格式ばったレストランより、こういうところの方がいい。2回目には食後酒をサービスしてくれた。

ヨーロッパの街では、どこへ行っても店の前の道路を商売に使っている。通行には邪魔だが、これも街の景観の一つだ。そのため、商店が休みの日曜日には道路がぐんと広くなる。赤いテントをたたんで広々とした道にゴミが散乱している裏通りの一つをスケッチした。

 

赤いドームのある教会

パレルモには、他のイタリアの都市と比べると一味違う教会が多い。

一番違うのは赤いドームを持った教会がいくつかあることだ。その一つのサン・ジョヴァンニ教会は、元々キリスト教の教会だったが、アラブ人がこの地方を征服したとき、イスラム教のモスクに改造され、その後またキリスト教の教会に戻ったという。また、サン・カタルド教会はノルマン人が支配していた時代に建てられたものだが、シチリアのノルマン人はアラブの文化を色濃く引き継いでいて、アラブ-ノルマン文化と呼ばれているそうだ。

赤いドームはアラブ系の文化の象徴のようだ。

 

マフィアとの戦い

パレルモと言えばマフィアの本場である。現在でもマフィアは健在なのだろうか?

パレルモの街を歩いていると、「MAFIA」と書いた大きな石の文字が貼り付けてある建物があった。その前後のイタリア語は分からないが、役所の建物にマフィア撲滅宣言のようなものが書いてあるのだと思う。半永久的に大書してあることは、反マフィアの運動をまだまだ長期間にわたって続ける必要があることを示しているのだろう。

 

両替にご用心!

パレルモの空港で日本円をユーロに両替したところ、手数料として15%と定額の4.9ユーロを取られ、高いのに驚いた。一般に空港での両替は、街なかでの両替に比べ率がいいと思っていたので、えらく高く感じた。

受け取ったユーロが思ったより少なかったので、大通りにあったシチリア銀行で追加の両替をした。行員の若い男は、経験が浅いのかモタモタしていて、私のパスポートの生年月日の「JUL」は6月か7月かと聞く始末だった。途中で上司に何回も聞きに行き、結局30分もかかってしまった。

ところが、伝票を見ると、手数料が定額の5ユーロだけだった。数日間に為替が円高になったこともあって、大分得をした気になった。

両替に慣れてない行員が間違えたのかも知れない。現にナポリ空港の両替では計算ミスで10ユーロ得した。間違いがあるということは、このように得することもあるが、損することもあるということだ。両替する時は気をつけないと危ない。

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