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カルカッソンヌ

二重の城壁

カルカッソンヌはトゥルーズから鉄道で1時間位のところにある。他のフランスの古い街と同じように、鉄道の駅や自動車道路は城壁に囲まれた旧市街の外だ。

旧市街は長辺が約500mの楕円形をした小さな街で、二重の城壁で囲まれている。現在はこの二重の城壁の間が道路になっていて、観光用の馬車で一周できる。なぜこのように、他にない堅固な城壁が必要だったのだろうか?

この街は、支配者がローマ、西ゴート、サラセンと移り変わり、その後スペインのアラゴンの支配下にあったこの地方の領主が治めていたという。ところがこの領主がカタリ派というキリスト教の宗派と組んで、ローマ法王に対抗したため、十字軍が編成されて、1209年にカルカッソンヌに立てこもっていたカタリ派を追放したのだそうだ。

その後、1247年にカルカッソンヌはフランス王の支配下に入り、フランス王が従来の城壁の外側にもう一つ城壁を築いたという。当時はまだこの周辺がアラゴン領で、フランスにとってカルカッソンヌは対アラゴンの最前線だったので、強固に防備を固める必要があったのだろう。

寒風の中でスケッチ 

内側の城壁だけで20以上の塔がある。見張りと防衛戦に使ったのだろう。形がなかなかいいのでこのスケッチを描くことにした。

もう6月に近いので、今までの経験からシャツでも十分なくらい暖かいものと思っていた。ところがこの時は、温度が1213度しかなく、念のために持っていったセーターを着て、寒風の中で震えながらスケッチをする有様だった。

しかし、その年のヨーロッパも、7月には45度まで温度が上がり何百人も死者が出た。どうも最近は世界中で異常気象が多いようだ。

「日本大好き!」

城壁に囲まれた旧市街には観光客用のお土産屋やレストランが何軒もある。その中の1軒で昼食をとった。

ウェイトレスの10代と思われる女の子が、「日本人?」と聞くので、「そうだ」と答えると、飛び上がって喜び、「日本大好き!(J’aime Japon!)」と言う。あまりの喜び方に、こっちの方もビックリして、「日本の何が好きなの?」と聞くと、「マンガ!、料理!」と言う。「カルカッソンヌにも日本料理屋があるの?」と聞くと、城壁の内側にはないが、駅のある新市街に行けばあると言う。

その子がクルッと後ろ向きになって、着ていたシャツの襟を引っ張り下げると、首の後ろに漢字で「日本」と刺青がしてあった。日本好きもここまで来ると本物だ。

昔イタリアのホテルで夜テレビをつけると、「木枯らし紋次郎」をやっていて驚いたことがある。文化の伝播はこういう通俗物から始まって、やがて本格的になってゆくのだと思う。日本でも、第2次大戦後のアメリカ文化の輸入はジャズや西部劇から始まったように思う。

 

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