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ヨーロッパ今昔シリーズ (3)

ローマ今昔

酒井 寿紀

はじめに

この「ヨーロッパ今昔シリーズ」を始めたいきさつについては「パリ今昔」の「はじめに」をご覧下さい。

本編に使った古い写真はカラーになっているが、これは現在のようなカラー写真ではなく、モノクロ写真に人手で色を付けたものだ。今の人にとっては不自然な彩色が多いが、当時の写真技術が分かるためそのままにしてある。

新旧対比表

No. 約100年前(1900~1920年頃?) 現在(2020年)
1

 パンテオン (Pantheon)
 
100年ほど前には建物の両側の道路に路面電車が走っていたようだ。

2

 トレヴィの泉 (Fontana di Trevi)
 
周りの建物もあまり変わっていない。
 ここはスリの名所なのでご用心を!(経験者は語る)

3

 スペイン広場 (Piazza di Spagna)
 中央の階段が「スペイン階段」。
 「ローマの休日」でヘップバーンがここでアイスクリームを食べて以来、これが大流行。

4

 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 (Monumento a Vittorio Emanuele Ⅱ)
 コルソ通りの南端のヴェネツィア広場にある。
 イタリアの統一に貢献したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の業績をたたえて、1911年に建設された。     

5

 カンピドーリオ (Campidoglio)
 カンピドーリオはローマの七つの丘の一つ。
 丘の上のカンピドーリオ広場は市庁舎や美術館で囲まれている。
 この広場はミケランジェロが設計した。

6

 コンスタンティヌスの凱旋門(フォロ・ロマーノ) (Arco di Constantino, Foro Romano)
 凱旋門はコンスタンティヌス1世の戦勝を祝して315年に建てられたもの。

 上部中央に書かれている文字は、100年前には読めたが、現在は全く読めない。
 右手後方にコロッセウム一部が見える。

7

 ティトゥスの凱旋門(フォロ・ロマーノ)  (Arco di Tito, Foro Romano)
 この凱旋門は第10代皇帝ティトゥスの戦功を称えるために西暦81年頃に建てられた。
 上部の碑文は100年前には読めたが、現在は読めない。
 右手遠方にコロッセウムが見える。



8

  サートゥルヌス神殿(フォロ・ロマーノ) (Tempio di Saturno, Foro Romano)
 中央の数本の石柱はサートゥルヌス神殿の遺跡。その左はセプティミウス・セウェルスの凱旋門。
 右端の3本の石柱はカストルとポルックス神殿の遺跡。その左遠方にティトゥスの凱旋門が小さく見える。
 古い写真で遺跡を横断して作られていた道路は撤去され、現在は元の姿に戻されている。

9

 カストルとポルックス神殿(フォロ・ロマーノ) (Tempio dei Dioscuri, Foro Romano)
 左の3本の石柱はカストルとポルックス神殿の遺跡。(No. 8の写真の反対側から)
 現在の写真でその右手にある建造物はウェスタ神殿の一部を1930年頃再建したもの。
 写真右手遠方の塔がある建物はカンピドーリオ広場の市庁舎。
 その右下はセプティミウス・セウェルスの凱旋門。 

10

 コロッセウム(フォロ・ロマーノ) (Colosseo, Foro Romano)
 西暦80年、ローマ皇帝ティトゥスの時完成した。
 100年前と大きな変化はないが、全体に風化が進んでいる。
 また補修の跡も増えている。

11

 トラヤヌスのフォルム (Foro Traiano)
 中央のトラヤヌス帝の記念柱は113年に建てられたもの。
 フォルムの石柱の遺物が、100年前より現在の方が背が高いのは何故だろうか?

12

 ナヴォーナ広場 (Piazza Navona)
 
彫像や周りの建物は100年前とほとんど変わっていない。
 一番変わっているのは人の数か?

13

 テルミニ駅 (Stazione Termini)
 
現駅舎は1950年に建てられたもので、旧駅舎の面影は全くない。
 旧駅舎は1874年に完成したもの。それまでは、1863年に建てられた仮駅舎が使われていた。
 駅名は近くにあった「ディオクレティアヌス浴場(Termae)」から取ったものだという。

14

 サンタンジェロ城 (Castel Sant'Angelo)
 右の円筒形の城がテベレ川の右岸のサンタンジェロ城。(130年頃建設)
 当初ハドリアヌス帝の墓として建てられた。
 橋はサンタンジェロ城とローマの中心部をつなぐサンタンジェロ橋。現在は歩行者専用。
 橋の向こうに見えるのがサン・ピエトロ大聖堂のドーム。

15

 サン・ピエトロ大聖堂 (Basilica di San Pietro)
 現在の建物は1506年に着工し、1626年に完成した。
 ドームの高さは137m、直径は42mという。
 途中まではエレベータがあるが、あとはドームの内壁に沿って320段の螺旋階段を登る必要がある。
 私が登った時、年配の女性が「天国が近づいたみたい」と言っていた。     


おわりに

経済の活性化より遺跡の保存を優先

フォロ・ロマーノの写真(No. 8)を見ると、100年前に遺跡を横切って作られていた立派な道路が現在は影も形もないことが分かる。この間のいきさつを記したものがないかと捜したが、残念ながら見つからなかった。経済活動を活性化するために道路を建設したが、やはり遺跡の保存の方がより重要だという意見が勝ち、せっかく建設した道路を撤去したのだと思われる。

若い頃ゲーテの「イタリア紀行」を読んだことがある。昔のことなので細かい話は忘れたが、ゲーテが長年の夢がかなってイタリアに向かった時、ヴェネツィアやフィレンツェ等の途中の街はほとんど眼中になく、ただひたすらにローマへの道を急いだという印象を受けた。題は「イタリア紀行」だが、内実は「ローマ紀行」なのだ。ローマと言っても、それはトレヴィの泉やスペイン階段のローマではなく、フォロ・ロマーノのローマなのだ。ローマはヨーロッパの人にとって特別な史跡なのだということを感じた。

フォロ・ロマーノを横切って新設された道路が撤去された背景には、こういうヨーロッパ人共通の古代ローマに対する強い思いがあったのだと思う。

フォロ・ロマーノのStreet View

Street Viewの写真は、通常はクルマの屋根に搭載された専用のカメラから撮ったものである。しかし、フォロ・ロマーノ内には一般のクルマが入れる道がないため、頭上に特殊なカメラを取り付けた人が歩き回って撮ったものが多いようだ。そのため、クルマからの写真のようにStreet Viewの写真上で連続して場所をずらして撮影地点を捜すことができず、地図に付けれらた撮影スポットの印を頼りにStreet Viewを見て、適切でない時は再び地図に戻ることになる。こういう試行錯誤を繰り返して昔の写真の撮影場所を捜すわけだ。

No. 8、No. 9の フォロ・ロマーノ等は、こうして古い写真の撮影場所を見つけたものである。なかなか厄介な作業なので、もう少し楽なしかけができるといいと思う。

 (完) 2021年1月28日


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