ヨーロッパ今昔シリーズ (13)
マンチェスター今昔
酒井 寿紀
はじめに
この「ヨーロッパ今昔シリーズ」を始めたいきさつについては「パリ今昔」の「はじめに」をご覧下さい。
「現在」の写真はすべてGoogleの "Street View" によるものです。
「約100年前」の写真はすべて当時の写真集から取ったものです。
新旧対比表
| No. | 約100年前(1900~1920年頃?) | 現在(2010~2020年頃) | 
| 1 | 
		  マンチェスター市庁舎 (Manchester 
		Town Hall)   | 
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| 2 | 
		  アルバート広場 (Albert 
		Square)  | 
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| 3 | 
		 
		 マンチェスター大聖堂 (Manchester 
		Cathedral)  | 
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| 4 | 
		 
		
		 マンチェスター大聖堂・内部 (Manchester 
		Cathedral: Nave)  | 
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| 5 | 
		 
		
		 マンチェスター市立美術館 
		(Manchester Art Gallary)     | 
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| 6 | 
		 
		 マンチェスター大学 (University 
		of Manchester)  | 
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| 7 | 
		 
		 フリー・トレード・ホール 
		 (Free 
		Trade Hall)  | 
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| 8 | 
		 
		 ミッドランド・ホテル (Midland 
		Hotel)  | 
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| 9 | 
		 
		 ジョン・ライランズ図書館 (John 
		Rylands Library)  | 
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| 10 | 
		 
		 ロンドン・ロード消防署 (London 
		Road Fire Station)   | 
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おわりに
ヒトラーの傷跡
マンチェスターの大聖堂(No. 3)やフリー・トレード・ホール(No. 7)は、第2次大戦初期の1940年12月にドイツ軍の爆撃で大被害を受けた。3万の建物が破壊され、大聖堂の修復には20年を要したということだ。
1944年~1945年に集中した日本の空襲に比べると、その時期の早さに驚く。ドイツ軍の空襲は"Blitz"(稲妻)と呼ばれるが、イギリス人はまさに雷に打たれたように感じたのだろう。
また、戦争や経済活動とは関係がない教会やコンサート・ホールが狙われたことを奇異に感じる。ドイツ軍は、戦争遂行への直接的効果だけでなく、イギリス国民に精神的ダメージを与えることを重んじたのかも知れない。
しかし、20年近くかけて大聖堂を修復したというので、イギリス人の精神力は決してくじけることはなかったようだ。そしてこれには次項も関係している。
歴史的建造物の保存に努力
イギリスは古い建造物の保存に力を入れている。政府が「指定建造物(Listed Buildings)」に登録すると、改築・改変が禁じられ、修理・手入れの責任が生じるという。このような義務の見返りとして財政的支援もあるのだと思うが、その内容は資料がなくよく分からない。
指定建造物はイギリス全体で約38万件あり、Ⅰ級、Ⅱ*級、Ⅱ級の3ランクに分かれている。Ⅰ級は約2.5%、Ⅱ*級は約5.5%で、残りはⅡ級だという。
マンチェスターにはⅠ級の指定建造物が15件あり、本編で取り上げた9件の建造物中、5件がⅠ級、3件がⅡ*級の指定建造物で、指定建造物でないのはマンチェスター大学の建屋(No. 6)1件だけである。
ロンドン・ロード消防署(No. 10)もⅡ*級指定建造物だ。この消防署が1906年にできた当初は馬が消防ポンプを引いていて、数年後に消防自動車に変わったという。1986年まで80年間、この建物が現役の消防署として使われていたというので驚く。これには、この建物が1974年にⅡ*級指定建造物に指定され、容易に解体や改変ができなかったことが影響しているのかも知れない。この種の建物の保存にも力を入れていることに敬意を表したい。
(完) 2022年1月18日