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ヨーロッパ今昔シリーズ (6)

リヨン今昔

酒井 寿紀

はじめに

この「ヨーロッパ今昔シリーズ」を始めたいきさつについては「パリ今昔」の「はじめに」をご覧下さい。

「現在」の写真はすべてGoogleのStreet Viewによるものです。

「約100年前」の写真はすべて当時の写真集から取ったものです。

新旧対比表

No. 約100年前(1900~1920年頃?) 現在(2020年)
1

 フルヴィエールの丘の上から見たリヨン全景 (Lyon from Fourvière)
 東を眺めたところ。手前がソーヌ川、奥がローヌ川。右(南)が下流。
 両川の中央にある広場がベルクール広場。
 現在の写真でローヌ川の向こうに見える高い建物は第2次大戦後建ったもの。

2

 ベルクール広場 (Place Bellecour)
 
広場の騎馬像はルイ14世。
 後方の丘の上に見えるのがフルヴィエール大聖堂。
 その右の鉄塔は1890年代に建てられ、現在はテレビ塔として使われている。

3

 フルヴィエール大聖堂 (Basilique de Fourvière)
 リヨン市街の反対側から見たもの。
 左手に鉄塔が見える。

4

 ギヨティエール橋 (Pont de la Guillotière)
 13世紀に建造された古い橋は、第2次大戦でドイツ軍が退却時に破棄され、新しい橋になった。
 橋の向こうの大きな建造物は「オテル・ディユ」と呼ばれ、15世紀から病院として使われていた。
 2018年からホテル「インターコンチネンタル」になっている。
 左端の遠方にフルヴィエール大聖堂が見える。     

5

 商工会議所 (Palais du Commerce)
 パレ・ドゥ・ラ・ブルス(Palais de la Bourse)とも呼ばれる。
 1860年にナポレオン3世によって開所された。
 当初は銀行業務、絹の取引、商取引の裁判等に使われていた。
 現在は商工会議所として使われている。     

 レピュブリク広場 (Place de la République)
 広場の中央にあった噴水は取り除かれ、長方形の巨大なプールになっている。

 正面を奥へ向かう道路はレピュブリク通り。
 その右手前の建物は昔のまま。

 テロ―広場  (Place des Terreaux)
 正面は市庁舎(Hôtel de Ville)。
 昔の噴水は後方に移動されたという。
 右の建物はリヨン美術館。

     

 ジャコバン広場 (Place des Jacobins)
 レピュブリック広場(No. 6)の100m位西にある。
 写真は南東方向を見たもの。

 

 リヨン・オペラ座 (Opéra de Lyon)
 
「リヨン国立オペラ(Opéra National de Lyon)」の主公演会場。
 古い建物は1831年に建てられ、「グラン-テアトル(Grand-Th
éâtre)」と呼ばれていた。
 現在の建物は1993年に改築されたもので、正面の1、2階のデザインは前のまま。

10

 ボナパルト橋 (Pont Bonaparte)
 ソーヌ川の東からフルヴィエールの丘(西の方)を望む。
 昔の写真の左の橋(ティシット橋)は1944年にドイツ軍に爆破され、ボナパルト橋が架けられた。
 昔の写真の右の橋は対岸の裁判所に行くためのものだったが、これもドイツ軍に破壊され、
 その後1983年に現在の歩行者専用のつり橋が架けられた。


おわりに

西から東へと発展した街

リヨンの街には南北に2本の川が流れている。東側の川は、スイスのレマン湖から流れ出て、リヨンの街を通って地中海にそそぐローヌ川である。西側の川は、北の方から流れて来て、リヨンの南でローヌ川に合流するソーヌ川だ。 このように、リヨンは二つの河川の合流地点にあるため、古くから河川を利用した物流の中心地として栄えててきた。現在リヨンは、パリ、マルセイユに次いでフランスの第3の都市である。

ローマ時代には既にここに前線基地が築かれていたという。当時はソーヌ川の西のフルヴィエールの丘が中心だったようだ。そのため、今でもこのソーヌ川の西は「古いリヨン(Vieux Lyon)」と呼ばれている。この丘の上には、19世紀にフルヴィエール大聖堂が建てられた。(No. 2、No. 3) 街のどこからでも見え、街の守護神として扱われている。

ソーヌ川の西には平地があまりないため、街はソーヌ川とローヌ川に挟まれた土地へと発展していった。両川はリヨンの南で合流するため、この地区はいわば島のような土地になっているので、「プレスキル(Presqu'île):ほとんど島」と呼ばれている。商工会議所(No. 5)、市庁舎、リヨン美術館(No. 7)、リヨン・オペラ座(No. 9)等、古い大きな建造物はほとんどこの地区にある。

第2次大戦後、このプレスキルでも土地が足りなくなり、リヨンはさらにローヌ川の東側へと発展していった。ここは、(No. 1)でも分かるように、第2次大戦前は大きな建物がほとんどなかったところだ。「パール-ディユ(Part-Dieu)地区」と呼ばれ、新興のビジネス地区になっている。

(No. 1)の「現在」の左の方に2棟の高層ビルが見える。右の方は、正式には「パール-ディユ塔(Tour Part-Dieu)」だが、円筒型で先がとがっているので「鉛筆(Le Crayon)」とも呼ばれる。1977年にできた42階建てのビルで、今では驚くような高さではないが、当時のリヨンの人は度肝を抜かれたのではないかと思う。現在は、ホテル、レストラン、オフィス等に使われている。

左の方の高層ビルは、2015年にできた「インシティ塔(Tour Incity)」で、現在リヨンで最も高い。

ガダニュ館

リヨンは操り人形で有名な街だという。「古いリヨン」に博物館があって展示してあるというので、行ってみようと思った。場所がよく分からないので、その付近まで行って、年配の女性にカタコトのフランス語で、「操り人形(Guignol)の博物館はどこですか?」聞いたが、知らないと言うので諦めた。

後で、長年リヨンで大学の先生をしている日本人の女性にその話をすると、「『ガダニュ館』と言えば分かったかもしれません」と言う。

後で調べると、ガダニュ館(Hôtel Gadagne)が人形の展示を始めたのは1950年だそうで、私が行った時はまだ40年余りしか経ってなかったのだ。私が聞いた女性の頭には「ガダニュ館」しかなく、「xx博物館」など聞いたこともなかったのかも知れない。もっとも、私のカタコトのフランス語が通じなかった恐れも多分にあるが。

その後パリのマレ地区(古い貴族の館が多数あるところ)等で似たような経験を何回もした。そして、「ガイドブックに書いてある『xx博物館』等の言葉が通用すると思うな。100年以上前から使われてきた『xxの館』等と言え」という教訓を身に着けることができた。

 

 (完) 2021年4月21日


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