ヨーロッパ今昔シリーズ (11)
ベルリン今昔
酒井 寿紀
はじめに
この「ヨーロッパ今昔シリーズ」を始めたいきさつについては「パリ今昔」の「はじめに」をご覧下さい。
「現在」の写真はすべてGoogleの "Street View" によるものです。
「約100年前」の写真はすべて当時の写真集から取ったものです。
これまでの「ヨーロッパ今昔シリーズ」(1)~(10)はすべて私が1回は行ったことのある都市ですが、本編以降の都市は一度も行ったことがないことをお断りしておきます。
新旧対比表
No. | 約100年前(1900~1920年頃?) | 現在(2010~2020年頃) |
1 |
ブランデンブルク門 (Brandenburger
Tor) |
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1' |
ブランデンブルク門 (Brandenburger
Tor) (補足) |
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1945年 Wikipediaより |
1961年 Wikipediaより |
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2 |
ウンター・デン・リンデンより西を望む (Unter
den Linden - looking West) |
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3 |
ウンター・デン・リンデンより東を望む (Unter
den Linden - Looking East) |
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4 |
ウンター・デン・リンデンとフリードリヒ通りの交差点 (Unter
den Linden / Friedrichstraße Crossing) |
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5 |
ベルリン・フンボルト大学 (Humboldt-Universität
zu Berlin) |
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6 |
ベルリン国立歌劇場 (Staatsoper
Berlin) |
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7 |
武器庫 (Zeughaus) |
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8 |
ルストガルテン (Lustgarten) |
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9 |
ベルリン大聖堂 (Berliner
Dom) |
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10 |
ベルリン王宮 (Berliner
Schloss) |
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11 |
ナショナル・ギャラリー (Nationalgalerie) |
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12 |
ボーデ博物館 (Bode
Museum) |
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13 |
フリードリヒ橋 (Friedrichsbrücke) |
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14 |
市庁舎 (Rathaus) |
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15 |
マリーエン教会 (Marienkirche) |
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16 |
フリードリヒ通り/ライプツィガー通りの交差点
1 (Friedrichstraße / Leipziger Straße Crossing 1) |
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17 |
フリードリヒ通り/ライプツィガー通りの交差点
2 (Friedrichstraße / Leipziger Straße Crossing 2) |
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18 |
国会議事堂 (Reichstagsgebäude) |
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おわりに
過去の顔を亡くした街
今までにこの「ヨーロッパ今昔シリーズ」で取り上げた10都市に比べると、この100年間のベルリンの変わり様はまったく比較にならない。他の都市では「あまりにも変わってないこと」に驚かされたが、ベルリンでは「すっかり変わってしまって対比もできない」ところが多いことに驚いた。
例えば、「ウンター・デン・リンデンとフリードリヒ通りの交差点」(No. 4)、「フリードリヒ通り/ライプツィガー通りの交差点 」(No. 16、No. 17)等である。これらの場所の古い写真は、表題から場所は分かっても、建物がまったく変わってしまって、どっちの方角を撮ったものかが分からいものもある。どうしても分からない時は、影の向きから方角を推定するしかないものもあった。
ベルリンは、場所にもよるが、大袈裟に言えば「過去の顔を亡くしてしまった街」なのだ。
ヒトラーの傷跡
ベルリンにこの大変化をもたらした最大の要因は、何と言っても20世紀前半のヒトラー政権の台頭と、1945年の連合軍によるその撲滅だ。
ヒトラーは、王宮に隣接したルストガルテンという公園(No. 8)の中央にあったフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の像を撤去し、公園全体を舗装して、ここでナチスの大会を挙行したという。撤去された銅像はその後兵器の製造に使われたそうだ。
また1933年に国会議事堂(No. 18)が火事で使えなくなり、以後修復されず、国会が開かれず、荒れるに任せて放置されたという。
そして、ベルリン中心部の商業地区は、1945年3月~4月にソ連軍を含めた連合軍によって昔の面影がまったくなくなるほど破壊された。その結果見違えるような姿になった。(No. 4、No. 16、No. 17参照)
ソ連による占領の傷跡
そして第2の要因には、第2次大戦後1989年まで続いたソ連による東ドイツの支配があるようだ。
ブランデンブルク門から東に向かうウンター・デン・リンデンの両側には王宮、大学、博物館、美術館、コンサートホール等、大きな施設が多数あるが、これらはすべて東ベルリンに属していた。
先ず、ルストガルテンに隣接する旧博物館(No. 8)やベルリン大聖堂(No. 9)の外壁の汚れが激しいのに驚いた。これらは他の国なら真っ先にきれいにするところではないだろうか? ベルリン大聖堂は外観はほぼ元通りに復元されたが、ドームの尖塔は未修理状態が続き(No. 13)、最近やっと修復された。(No. 9)
王宮は戦災による被害が激しかったが、共産主義国家にふさわしくないと、1950年にダイナマイトで完全に破壊された。再建が始まったのは、ドイツ再統一後の2007年だという。(No. 10)
第2次大戦前は「フリードリヒ・ヴィルヘルム大学」と王の名前を冠していた大学は、共産主義政権によって「ベルリン・フンボルト大学 (Humboldt-Universität zu Berlin)」と改名させられ、今日に至っている。(No. 5)
また、戦前は「カイザー・フリードリヒ博物館」と呼ばれ、建物の前にフリードリヒ3世の騎馬像があった博物館は、戦後初代キュレーターの名前から「ボーデ博物館」と改名され、皇帝の騎馬像は撤去された。(No. 12) これも皇帝の存在を極力歴史から消し去ろうとしたためだろう。
ただ、ウンター・デン・リンデンの真ん中にあるフリードリヒ大王の像は現在もあり、フリードリヒ橋(No. 13)の名前は現在も使われているので、帝国時代の名残を完全に消し去ることはできなかったようだ。
共産主義政権が倒れてから30年以上経つが、いまだにその有形、無形の遺産は社会の各所に残っている。これは今後も当分続くものと思われる。
(完) 2021年12月1日