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(株)オーム社 技術総合誌「OHM」 2014年12月号 掲載 PDFファイル
変わったもの、変わらないもの・・・ITの歴史を振り返って
酒井 寿紀(Sakai
Toshinori) 酒井ITビジネス研究所
2005年5月号から本コラムを掲載するようになって、早いものでもう10年近くになるが、本号で本コラムを終了することになった。そこで、改めてITの歴史を振り返ってみたい。
小生がコンピュータに興味を持ち始めたのは、1960年代初めの学生時代で、当時はコンピュータに関する本もろくになかった。当時わずかにあった本に接して、これは将来社会に大変革をもたらすと確信したことが、小生がこの世界に足を踏み入れたきっかけである。
そして、小生が大学を卒業して社会に出た1964年4月に、IBMがシステム/360を発表して、コンピュータの本格的普及の幕が切って落とされた。
IT製品は激変したが・・・
システム/360が現れる前の時代のコンピュータは、演算回路に個別トランジスタが使われ、内部メモリには主として磁気コアが用いられていた。
当時の内部メモリの容量はせいぜい100キロバイト程度で、現在のスマートフォンの1万分の1以下だった。当時の大型コンピュータ1万台分以上のメモリを、現在は世界中の人がポケットに入れて持ち歩いているわけだ。
この進歩をもたらした主役は半導体技術の躍進である。同じ大きさの半導体チップの回路数が1.5年で約2倍になるというムーアの法則が、40年以上にわたって生き続けてきた。1.5年で2倍ということは、10年で100倍になることに当たり、40年では1億倍になる。1970年に1キロビット/チップで始まった半導体メモリは、今やその1億倍の100ギガビット/チップを超えるようになった。
この進歩を取り込んで、コンピュータの主役は、メインフレームからパソコン、スマートフォンへと変化し、使い方も大きく変わった。しかし、ITビジネスを支配してきた力学は、あまり変わってないように思う。ここでは密接に関連する2点を取り上げよう。
各社各様から業界標準へ
1960年代の米国のコンピュータ市場では、「白雪姫と7人の小人」といわれ、白雪姫のIBMほか7社が、それぞれ別世界を構築して競っていた。しかし、1964年にIBMがシステム/360を発表し、共通のソフトが使える製品群を揃えると、シェアをどんどん伸ばしていった。そうなると、周辺機器やソフトウェアのベンダもIBM互換製品に力を入れ出し、その市場が雪だるま式に増大していった。そして1970年代後半には、IBMと互換性のあるメインフレームまで出現し、これが全世界で業界標準になった。
パソコンの世界でも、1970年代には各社がまちまちの製品を開発・販売していた。しかし、1981年にIBMがパソコン市場に参入し、仕様を全面的にオープンにして周辺機器やソフトウェアのベンダに「この指とまれ」作戦を展開すると、急速にシェアを伸ばした。そして、IBMと互換性のあるパソコンが世界中で生産されるようになり、これが業界標準になった。
1984年に現れたアップルのマッキントッシュは、マウスでアイコンをクリックするGUI
(Graphical User Interface)の技術で先行していて、IBM仕様のパソコンで使われていたマイクロソフトのOSがこれに追い付くのには10年近くかかった。しかし、アップルのソフトはアップル製のパソコンでしか使えなかったため販売量が限定され、IBM仕様のパソコンから業界標準の座を奪うことはできなかった。
2007年にアップルがiPhoneを発売し、スマートフォンというITの新分野を切り開いた。これは、タッチパネルの活用などの面で優れていたため、一挙に従来の類似製品の影を薄くした。しかし、パソコン同様、アップルは互換製品の製造を他社に認めなかったため、市場シェアには限界があった。
一方、後発のグーグルはAndroidというスマートフォン用OSを開発し、無料で提供を始めたため、全世界のスマートフォンのシェアの80%以上を占めるまでになった(a)。
IT製品は半導体とソフトのかたまりで、両者とも原価の大半が固定費のため、販売量の多いところが圧倒的に有利で、関連製品の企業は「寄らば大樹の陰」と、少しでも強いグループに群がる。そのため、強いところはますます強く、弱いところはますます弱くなる。こうして、市場の寡占化が進み、最終的には業界標準が確立するのだ。
垂直統合から水平分業へ
1960年代には、各社が独自仕様の周辺機器からソフトウェアまで提供し、それぞれ垂直に統合した世界を構築していた。しかし、前述のようにIBMの製品が業界標準になると、各社が得意技術を生かしてIBM互換製品を水平に分業して提供するようになった。
そしてパソコンでは、IBMが当初から仕様をオープンにして水平分業の道を選んだ。こういうシステムの構成品ごとの水平分業化は、その後のスマートフォンでも続いた。
水平分業化は「餅は餅屋に」という発想で、企業にとっては開発費の削減、開発期間の短縮になり、ユーザーにとっては製品の選択肢が広がる。
業界標準の確立と水平分業化は表裏一体で、IT製品が成熟すると常にこの方向に進んできたので、今後も続くものと思われる。今後は、まだ業界標準の確立や水平分業化が十分進んでいないゲーム機やカーナビなどに注意を払う必要がある。
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長年月にわたってお付き合い頂いたことに深く感謝する次第である。
(http://www.idc.com/prodserv/smartphone-os-market-share.jsp)
(b) 酒井 寿紀、「いつか来た道・・・携帯電話のプラットフォームはどうなる?」、Computer & Network LAN、2005年1月号、オーム社
(http://www.toskyworld.com/archive/2005/0501itsukakitamichi.htm)
(c) 酒井 寿紀、「プロプライエタリからオープンへ」、OHM、2006年1月号、オーム社
(http://www.toskyworld.com/archive/2006/ar0601ohm.htm)
(d) 酒井 寿紀、「業界標準はどのようにして決まった?」、エムエスツデー、2014年4月号、エム・システム技研
(http://www.toskyworld.com/archive/2014/ar1404mstoday.htm)
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