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(株)エム・システム技研 「MS TODAY20111月号 掲載        PDFファイル (エム・システム技研のサイトへ)

 

 

海外よもやま話 

 

第5回 南イタリア スケッチ旅行

酒井ITビジネス研究所  代表 酒 井 寿 紀

 

「ストリートビュー」でスケッチの場所捜し

昨年(2010年)6月、女房と南イタリアを旅行しました。ローマから北には何回か行ったことがあるのですが、南イタリアには行ったことがなかったからです。また、私は古い街並みのスケッチを描くのが趣味で、頭上に洗濯物が干してあるナポリの裏通りを描きたいと前から思っていたからです。今回はナポリとシチリア島のパレルモをベースキャンプにしてそれぞれ5泊し、そこから日帰りで行けるところに行くことにしました。

ナポリの街といっても広く、どこへ行ったら洗濯物が干してあるような風景に出会えるのか分かりません。出発前にインターネットでナポリの案内を調べると、ピニャセッカ通りとキアイア通り付近が狭くごみごみしていて、洗濯物にも出会えそうでした。そこで、グーグルの「ストリートビュー」でその付近の街並みを見てみました。

「ストリートビュー」というのは、グーグルがウェブで提供している地図で道路上の場所と方角を指定すると、そこに立ったときの風景が見られるものです。これは、360度のパノラマ写真が撮れるカメラをクルマの屋根の上に取り付けて、街じゅうを走り回って街並みの写真を撮ったものです。日本を含め、全世界の主要都市についてこういう写真が用意されています。

ピニャセッカ通りは狭くて人通りが多く、その上露天商も店を広げているのですが、ちゃんと「ストリートビュー」で街並みを見ることができました。よくもこんな通りまで写真を撮ったものだと感心しました。キアイア通りは、ピニャセッカより道幅が広いのですが、年中歩行者天国でクルマが入れないので、「ストリートビュー」で直接見ることはできず、付近の道路の様子から推測するしかありませんでした。また、両方の道路とも、脇道は階段になっていてクルマが入れないところも多く、そういうところも当然のことながら「ストリートビュー」はありません。

しかし、「ストリートビュー」の写真から、大体どの辺へ行けば洗濯物が干してある風景が見られそうかが分かり、何枚かスケッチを描くことができました。「ストリートビュー」の写真には通行人の顔やクルマのナンバーまで分かってしまうものもあり、プライバシーの問題も起きています。しかし、街並みの風景を題材にしている画家や写真家にとっては、これは強力な武器になるのではないでしょうか。

ウェブにはピニャセッカ通りは治安が悪いので避けた方がいいという記事もありましたが、何とか無事にスケッチができました。立って描いていると、家の中で仕事をしていた職人のおじいさんが椅子を持ってきて、これに座って描けと合図します。しかし、座ると景色の角度が変わってしまうので使えませんでした。私のイタリア語ではちゃんと説明できないので「ありがとう」とだけ言っておきました。

 

城が3つある街、ナポリ

われわれが宿泊していたホテルから歩いて10分から20分のところに城が3つありました。

最も古いのが「卵城」という変わった名前の城で、歌で有名なサンタ・ルチア港のそばにあり、城の下に卵が埋めてあるという伝説がありました。この城は、ギリシャのこの地方の拠点だった島に、12世紀にノルマン人が築いたのだそうです。現在は島ではなく地続きになっています。

次に古いのが「カステル・ヌオーボ」で、イタリア語で「新しい城」という意味です。新しいといっても、13世紀にフランスのアンジュー家からきた王が建てたもので、15世紀からはスペイン系の王が住んでいたということです。

最も新しいのが単に「王宮」と呼ばれている城で、18世紀以来フランス系のブルボン家が使用していたものです。現在も劇場、役所などとして使われています。

このようにナポリは、ローマ人によって支配された一時期を除いて、19世紀にイタリアが統一されるまで2,000年以上にわたって、ほとんど外国人によって支配されてきたのです。有史以来日本人が日本を支配してきたことを当然と思っているわれわれ日本人とナポリの人では、国家観も違うのではないでしょうか。

サンタ・ルチア港のそばのレストランで夕食をとったとき、時間があったので卵城に寄ってスケッチを1枚描きました。夜の8時頃でしたが、夏時間のためまだ十分スケッチができる明るさでした。ナポリは南イタリアといっても北緯41度で青森に近く、かなり高緯度のためもあります。

 

山の上の街、エリチェ

シチリア島のパレルモでも5泊し、1日はシチリアの西端のトラーパニという街の近くにあるエリチェ(「エ」にアクセントがある)という街に行くことにしました。エリチェは標高約750mの山の上にあり、古い街並みがよく残っているというので、遺跡だけのところと違いスケッチも描けそうだと思ったからです。

エリチェが一番栄えたのは紀元前3世紀にローマとカルタゴがこの辺で戦ったポエニ戦争の前だといいます。その後、アラブ人、ノルマン人などが支配した時代を経て現在に至っているということです。中世の街並みがそのまま塩漬けになっているような感じの街でした。

それにしても、イタリア人が山の上に住むのが好きなことには驚きます。私が行ったことがあるところでは、中部イタリアのペルージャもアッシージも山の上でした。イタリア半島で山の上が好きだったのは中部イタリアの民族だけではないことが分かりました。

昔は防衛上重要な意味があったのでしょうが、その意味がなくなった現在でも多くの人が住み着いているのです。エリチェでは毎年自然科学の国際会議が開かれるのだそうです。一見中世にタイム・スリップしたような街ですが、建物の中では最先端の文化活動が行われているのです。

    

[関連記事]

(a) 酒井 寿紀、「南イタリア スケッチ旅行」、海外ところどころ、2012年11月 (http://www.toskyworld.com/kaigai/south-italy/00basecamp.htm)

   


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