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(株)エム・システム技研 「MS TODAY20107月号 掲載        PDFファイル [(株)エム・システム技研のサイトへのリンク]

 

 

海外よもやま話 

 

3回  ローマの香りが漂う街、アルル

   

酒井ITビジネス研究所  代表 酒 井 寿 紀

 

ローマの3点セット

1995年の8月に、家内と南フランスを旅行したとき、ゴッホが1888年から1889年にかけて滞在し、大量に作品を残したアルルを訪れました。ゴッホがなぜあんなにアルルに惹かれたのかを、自分でアルルの空気を吸って感じてみたいと思ったからです。

アルルはローヌ河の河口に近い、人口5万人ほどの小さな地方都市です。昔城壁で囲まれていた旧市街は、10分も歩けば端から端まで行ってしまいます。旧市街は今でも細い道が入り組んでいて、鉄道の駅も、自動車用の広い道路も城壁の外にあります。

アルルの街を歩き回って驚いたのは、ローマ時代の構築物がローマ以上によく残っていることです。ローマのコロッセオは現在も残っていますが、闘技を行った床はなくなり、外壁もかなり損傷しています。ところがアルルの円形闘技場は、大きさはローマほどはありませんが、現在もほぼ完全な姿で残っていて、今も闘牛などの催し物に使われているのです。

野外劇場の跡も、現在でも使われていて、新しい観客席が設けられていました。

浴場の遺跡もありました。当時のローマの浴場は、フィットネスクラブや図書館も兼ねた大社交場だったようで、ディオクレティアヌスの浴場やカラカラ浴場の大きさには驚かされます。アルルの浴場の規模はよく分かりませんが、コンスタンティヌス大帝が建てたのだそうですから、昔は相当立派なものだったのでしょう。

「闘技場、野外劇場、浴場」この3点セットはローマ人の生活に欠かせないものだったようです。アルルに行くと、ここがローマ帝国の重要な地方都市だったことがよく分かります。

アルルの街の城壁はもうほとんど残っていません。一部残っている城壁の外の空き地には市が立っていて、野菜や果物を売っていました。こういうところで買い物をして、その地方の生活に触れるのも楽しいものです。タクシーの運転手の話では、週に2回、街の反対側で市が開かれるとのことでした。

 

ゴッホの「黄色い家」

アルルの駅で買ったアルルの地図の裏には、ゴッホがどこでどの絵を描いたのかが記されていました。この地図を頼りに、ゴッホが描いたカフェのある広場や、ゴッホが自分の耳を切ったあと入院していた病院を訪れました。

ゴッホには、自分が住んでいた家を描いた「黄色い家」という絵があります。そこには今でも建物があって、レストランになっていました。そこで一休みしてビールを飲んだのですが、どうも建物の形が絵に描いてある建物と違うのです。

不思議に思ってレストランの女性に、「ゴッホの『黄色い家』という絵を知ってますか?」と聞くと、黙って奥へ引っ込んでしまいました。私の片言のフランス語が通じなかったのかな、もしかして機嫌が悪くて取り合ってくれなかったのかな、と思っていると、しばらくしてその女性が古びた写真を2枚持って戻ってきました。写真には「改築前」と「改築後」と書いてありました。「改築前」の写真には現在の建物に接してもう1軒小さい建物があり、ゴッホの絵と同じでした。「改築後」の写真ではその建物が取り除かれているのです。奥の大きい建物は現在もゴッホの絵と同じでした。なぞが解けて一安心しました。

ゴッホには「跳ね橋」という有名な絵があります。その跳ね橋はもうありませんが、それを別の場所に復元したものがあるというので、アルルを離れるとき、ホテルから駅へ向かうタクシーに遠回りして立ち寄ってもらいました。観光ガイドにも載っていたので、何人かは観光客が来ているのだろうと思っていましたが、畑の真ん中に橋が一つあるだけで、周りには人っ子一人いないのに驚きました。

タクシーの運転手に跳ね橋をバックにしてわれわれ夫婦の写真を撮ってもらい、駅へと向かいました。偽物の橋を見てもあまり意味はありませんでしたが、8月のプロヴァンスの畑の空気を十分吸い込むことができました。

 

石棺に囲まれてスケッチ

アルルの街外れにアリスカンという昔の共同墓地があります。ローマ時代からのアルル最大の墓地で、中世には有名になってヨーロッパ中からローヌ河を使って遺体が運ばれてきたのだそうです。

ゴッホはゴーギャンといっしょにここで絵を描いたということです。滞在していたホテルから近かったので、早朝そこへ一人で出かけました。うっそうと茂った森の中は、真夏なのにひんやりとしていて人影がまったくありませんでした。道の両側には石棺が並んでいて、千数百年来の霊気があたりに立ち込めているような感じがしました。そこに苔むした石造の建造物があったので、そのスケッチを1枚描きました。

インターネットで知り合ったアメリカの絵を描く女性にこの話をしたら、よくそんな気味が悪いところで描いたと驚かれました。

 

アルルの女

アルルは、「アルルの女」というドーデの小説や、それを基にしたビゼーの曲でも有名です。ゴッホにも「アルルの女」という女性の肖像画があります。

現在はもちろんアルルの女性も他の地方と変わらない服装をしていますが、これらの作品が作られた19世紀にはこの地方の特長を色濃く残した服装をしていたようです。現在でも博物館の案内の年配の女性はこの地方の伝統的な衣装を身に着けていました。黒っぽいロングスカートと華やかなショールが特長的でした。街でもこうした格好で歩いている女性を一人見かけました。

駅の売店で買い物をすると、そこの年配の女性は私に、「ジュ・ヴ・ルメルシ」と言いました。これは「メルシー(有難うございます)」の大変丁寧な言い方で、パリなどではあまり聞きません。数少ない体験からですが、言葉遣いにも古きよき時代のアルルの響きが残っているように感じました。

 

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(a) 酒井 寿紀、「フランスところどころ」、海外ところどころ、1996年10月  (http://www.toskyworld.com/kaigai/france.htm)

 


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