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(株)エム・システム技研 「MS TODAY20101月号 掲載        PDFファイル [(株)エム・システム技研のサイトへのリンク]

 

 

海外よもやま話 

 

1回 初めてのアメリカ

酒井ITビジネス研究所  代表 酒 井 寿 紀

 

今までに仕事や観光で海外に出かけたときの話の中から何件かご紹介したいと思います。

1回は1965年に初めてアメリカに行ったときの話です。私は入社2年目で、24歳でした。

 

すぐアメリカに飛んでくれ!

19654月のある月曜日に、いつものように出社すると、いきなり「すぐアメリカに飛んでくれ!」と言われて面食らいました。営業活動のため米国の会社の技術情報が急遽必要になり、米国に出張する営業の人に同行してくれというのです。

何せ海外出張は初めてで、パスポートもスーツケースも持っていません。その上当時は、米国への入国には全員ビザが要り、また予防注射も必要でした。ただ、当時は海外出張者が極めて少なかったため、今と違い旅行会社の若い女性が付きっきりで世話をしてくれました。

まずパスポートを大至急入手する必要があるので、その理由を書いた書類を作っていると、東京都庁が閉まる時間が迫ってきました。そこで、タクシーは渋滞で時間がかかると、丸の内の本社ビルから有楽町の旧都庁まで、その女性と2人で一目散に走り、かろうじて間に合いました。

また、ビザを取りに米国大使館へ行き、面接を受けました。行きがけのタクシーの中で、その女性から余計なことは言わないようにかたく言われたので、言われた通りにしたら問題なくビザが下りました。

結局スーツケースを買う時間はなく、上司から借りて、次の日曜日にあわただしく羽田から飛び立ちました。

 

勝手に机を動かすな!

米国では、まずニュージャージー州にあった事業所へ行ったのですが、目的の技術情報は結局入手できませんでした。そして私だけ、当時フロリダの工場で進めていた新製品の共同開発を手伝っていけということになりました。

その工場では、建屋に隣接してトイレやエアコンの付いたトレーラーハウスが設置され、そこで共同開発チームが仕事をしていました。一時的に追加スペースが必要になったときのアメリカ的な解決策でした。

私が開発チームに加わったため、机の配置をちょっと変えようとしたところ、「勝手に机を動かしてはダメだ」とアメリカ人に言われました。組合との取り決めで仕事の分担がはっきり決まっているためで、日本の組合とは違うことを知りました。担当部署に連絡すると、しばらくしてアフリカ系の大男が2人来て、机を23メートル動かしてくれました。

共同開発チームにドキュメンテーション専門の担当者がいることも新鮮でした。その人は我々が作る設計資料を毎日集めて設計資料集としてまとめるのが仕事でした。こうして、常に全体の仕事の進捗状況が分かるようになっていました。これは、人の異動が激しい米国の企業の防衛策でもあるのでしょう。

あるとき、工場長が我々を自宅に呼んでパーティーを開いてくれました。そのときは奥さんの気配りに感心しました。出席者の1人がちょっと飲みすぎると、その人のクルマを社員の1人に運転させて宿泊先まで送らせました。パーティーの最中だけでなく帰路の心配までして、アメリカの会社幹部の奥さんはなかなか大変なんだなあと感じました。

 

タバコは女子供が吸うもの?

我々はパームビーチのケネディの別荘が見える海岸のモーテルに滞在していました。キッチン、食器付きの長期滞在者用のモーテルで、中庭にはプールもあり、なかなか快適でした。

食事は自炊したり、外に食べに行ったりしました。食べ物では、当時日本にはなかったグレープフルーツのおいしさと、アイスクリームの種類の多さに感動しました。

モーテルの管理人のところには20歳と16歳の娘さんがしょっちゅう来て、我々とも親しくしていました。

共同開発チームの我々日本人は当時ほとんどみんなタバコを吸っていましたが、アメリカ人にはタバコを吸う人はいませんでした。ところがこの2人の娘さんはタバコを吸うのです。アメリカではタバコは女子供が吸うものかと思いました。最近日本でもタバコを吸う男が減り、若い女性にタバコを吸う人が増えたので、やっと日本も当時のアメリカ並みになったという気がします。彼女たちはタバコを取り出してくわえると、火を着けてくれるのを待っているのです。アメリカでは火は男が着けるのが当り前なんでしょう。「さすがアメリカの女性!」と感心しました。

2人ともタバコを吸うくせに、飲酒は悪いことだと教え込まれているようでした。部屋にウイスキーの瓶を置いておくと、「こんなものを飲んじゃダメ」と隠してしまうので困りました。善悪の感覚がわれわれとは違いました。これには歴史的・宗教的な背景があるのでしょう。

フロリダ半島の南端に、エバグレーズという国立公園があり、休日にクルマで行きました。広大な湿地帯を横切る道路を運転していると、どこまで行っても地平線に逃げ水がユラユラと光っていて、頭がおかしくなりそうでした。

1か月後に、日差しが強烈なフロリダから日本に戻ると、日本はジトジトした梅雨のまっ最中でした。天候の違いが天と地でしたが、それ以上にカルチャー・ショックが大きく、しばらくは浦島太郎状態でした。振り返ると、1960年代には日本とアメリカの差がまだ非常に大きく、その後日本が急速に変わったことをつくづく感じます。

*   *   *

この時のメンバー8名全員で、2001年に現地を再訪しました。そのときの話は本誌20081月号の「36年振りのフロリダ」(下記ウェブページに掲載)でお読みいただけます。

http://www.m-system.co.jp/mstoday/backnum/2008/01/tale/index.html

 

[関連記事]

(a) 酒井 寿紀、「はじめてのアメリカ」、海外ところどころ (http://www.toskyworld.com/kaigai/americ.htm)

(b) 酒井 寿紀、「36年振りのフロリダ」、Pen.友、20034月号

        (http://www.toskyworld.com/archive/2003/ar0304pen.htm)

  


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