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(株)エム・システム技研 「MS TODAY2007年12月号 掲載        PDFファイル [(株)エム・システム技研のご提供による]

ITビジネスから見た海外事情

 

(第12回)  外国語・第一歩

 

酒井ITビジネス研究所 代表 酒 井 寿 紀

 

まず、挨拶

はじめての国へ出かけるときは、できるだけその国の言葉を覚えてから出かけるようにしています。といっても、せいぜい出かける23週間前から、旅行者用の会話の本を眺めたり、テープを聴いたりする程度です。現地で自由に話すにはとてもおぼつかなくても、「これ、いくらですか?」とか「トイレはどこですか?」ぐらいは話せた方がいいだろうと思って、これを実行してきました。時間がないときは、まず、挨拶の言葉だけ覚えて行きます。

日本では、店員やタクシーの運転手はあまり挨拶をしませんが、それに比べると、欧米では「おはようございます」とか、まず挨拶をする人が多いように思います。日本にも最近は、必ず「こんにちは」と声をかけるコンビニがありますが、これはデパートの「いらっしゃいませ」と同じで、業務命令で言わされているのだと思います。つまり、挨拶も業務の範囲内なのです。それに比べ、欧米の店員の挨拶は業務の範囲外で、業務上の話に入る前に人間と人間として交わしているように感じます。したがって、彼や彼女たちの中にも、ムスッとしてひと言も挨拶しない人も大勢います。

業務としての挨拶は、どんなにニッコリしてくれてもワンパターンで、あまり挨拶を返す気にもなりません。しかし、かわいいイタリアの女の子が「ボン・ジョルノ(おはようぞざいます)」とか「チャオ(さよなら)」とか言ってくれると、こっちも何か言ってあげたくなります。こうして挨拶を交わしたあとで商談(?)に入った方が、話がスムーズに始まり、お互いに気持ちもいいものです。タクシーでわざと遠回りされたり、料金をぼられたりする危険も減るように思います。

イタリアの会社が顧客の団体を引き連れて、私が勤務していた工場に見学に来ることがありました。そういうとき、挨拶に駆り出されると、最初の「おはようございます、紳士淑女の皆さん」だけはイタリア語で言い、「済みませんが、これが私の知っている唯一のイタリア語です」と言って、あとは英語で話しました。それだけでも場の雰囲気は多少和むものです。そして最後の「どうもありがとうございました」で再びイタリア語に戻りました。大変な「キセル」でした。

 

次に、数の言い方

買物でもタクシーなどの交通機関でも、利用者にとって一番大事なのは値段です。そのため、挨拶の次には数の言い方を覚えることにしていました。

数の言い方だけ知っていて、値切るのに成功したこともあります。昔のことで忘れましたが、ローマで屋台のお土産屋が何か売っていました。一生懸命話しかけてくるのですが、イタリア語なので、何を言っているのかまったく分りません。見ると値札に値段があります。いくらかだったか忘れましたが、例えば1万リラ(1980年代で約1,000円)だったとしますと、お土産屋がしゃべり終わったときに、「5,000!」と覚えたてのイタリア語で言いました。すると、お土産屋がまくし立て始めました。「これはいい品なのでとてもそんな値段では売れない」とか言っているのかも知れません。しかし、私には何も分らないので、言い終わった途端、また「5,000!」を言い返しました。するとまた延々とまくし立てます。今度は、「そんな値段で売ったら妻子を養っていけない」とか言っているのかも知れません。しかし、最後まで「5,000!」、「5,000!」と繰り返していたら、とうとうあきらめて5,000リラにしてくれました。実際の値段は忘れましたが、そんなやり取りでした。

お土産屋のイタリア語がまったく分らず、私に何も伝わらなかったのが、この値引き交渉に成功した最大の原因でした。このようにして、数だけ知っていれば、値切ることもできます。メキシコのティフアナなどでも、半値ぐらいから交渉を始めるのが当たり前のようです。しかし、どうせゲームだからとあまりひどい要求をすると、最後に「ニホンジン、ケチ!」などと捨て台詞を言われることもあります。値切るのもほどほどにして、日本人の評判をあまり落とさないようにしてください。

 

生兵法は怪我の元

即席の外国語の勉強で失敗したこともあります。初めて中国へ行ったとき、タクシー代をいつも同行の営業の人に払ってもらっていました。そこで、「たまには私が払います」と言って、運転手に、覚えたての中国語で「多少銭(トゥオシャオチエン、いくらですか)?」と聞くと、ちゃんと通じました。ところがそのあとが問題で、運転手が「スークァイウー」と言います。中国語の数字は麻雀で得意ですし、会話の本に、金額の単位は「元(ユアン)」、その10分の1が「角(ジアオ)」とありました。それなのに、「クァイ」などが出てきて面食らっていると、営業の人が「45角」のことだと教えてくれました。日常会話では「元」のことを「塊(クァイ)」というのが普通なんだそうです。また、「角」も会話ではほとんど使わず、「毛(マオ)」と言います。この例のように、それも略してしまうことが多いようです。

現地で日常使われている言葉が出てない旅行者用の会話の本には困ったものです。しかし、このときは、「返事を聞き取る自信がなければ、現地の言葉で話しかけるな!」という教訓を学びました。生兵法は怪我の元です。イギリスに長年駐在していて、ヨーロッパ中どこへ行っても絶対に英語しか話さない日本人がいましたが、これも経験で身につけた知恵でしょう。現地の言葉で挨拶すると、相手は当然その言葉が話せるものと思って、話がどんどん深みに陥ってしまい、最後に馬脚を現すことはよくあります。それを避けるには、その国の言葉を初めから使わないか、「私はXX語を話せません」を覚えおいて、早く相手に伝えるしかありません。

突然現地の言葉で文句を言われて参ったことも何回かありました。だいたい現地の習慣をよく知らないこっちが悪いのですが、こういうとき、ヨーロッパの人は相手構わず自国語で文句をまくしたてます。何のことか分らないので黙っていると、いつまでも文句を言い続けます。そういうとき、「私はXX語を話せません」と現地の言葉で言うと、やっと相手があきらめたことが再三ありました。

 

最後は筆談

中国へ初めて行ったとき、ちょっとしたトラブルがあって、北京市内のホテルから精華大学のセミナー会場へ、私一人で行くことになってしまいました。中国語はほとんど話せなかったのですが、何とかなるだろうと、タクシーに乗って、「チンホアターシュエ(精華大学)」と言うと、ちゃんと通じて走り出しました。しかし、精華大学といっても滅茶苦茶に広いのです。入口で降ろされたらどこへ行っていいか分りません。そのとき、ふと、私が行きたい建物から精華園という庭園の正門が近くに見えたことを思い出しました。しかし、これをどう言うのか分らなかったので、メモ用紙に「精華園 正門」と書いて運転手に渡しました。運転手もそれがどこか知りませんでしたが、大学の構内を歩いていた人に聞いてくれて、無事目的の場所につくことができました。

このように、中国では最後には筆談が強力な武器になります。ただ困るのは、最近の中国人は簡体字に慣れてしまって、もとの漢字が分らなくなっていることです。その簡体字たるや大変な代物で、例えば、 「衛」は「」、「開」は「」、「無」は「」、「業」は「」 という具合です。簡体字で書かれても、とてもわれわれにはもとの漢字を想像できません。筆談に困らないためにも、簡体字を覚えておくといいようです。そうすれば、街の標識や看板の意味もだいたい分ります。

 


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