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(株)オーム社 技術総合誌「OHM」2007年5月号 掲載        PDFファイル

(下記は「OHM20093月号の別冊付録「ITのパラダイムシフト Part U」に収録されたものです)

 

PDCの教訓

 

酒井 寿紀  (さかい としのり) 酒井ITビジネス研究所

 

日本の携帯電話が世界の孤児に

2000年から2001年頃に、「日本のケータイが世界を制覇する」と新聞・雑誌が書き立てた。携帯電話では日本が一番進んでいて、また、日本には携帯電話端末に必要な液晶などの技術も揃っている、というのがその理由だった。しかし、そうはならなかった。現在携帯電話端末の市場での日本のメーカーのシェアは、エリクソンと共同で事業を展開しているソニーを別にすれば、合計しても10%に満たない。なぜ予想が狂ったのだろう。

その大きい原因は、携帯電話の第二世代でPDC (Personal Digital Cellular)という日本独自の規格を採用したためだと言われている。第二世代では、ヨーロッパを中心とするGSM (Global System for Mobile Communications)と米国を中心とするcdmaOneが世界の主流になった。なぜ日本だけPDCを採用したのだろう? そして、それに至る判断のどこに問題があったのだろう? 小生はPDC誕生当時のいきさつを詳しく知っているわけではないが、現在一般に言われていることに基づいて問題点を探ってみよう。

 

Not Invented Here

PDCNTTの研究所で開発され、1991年に規格が制定され、1993年にNTTドコモがサービスを開始した。一方、ヨーロッパでは、1982年にGSMの検討が始まり、1987年に基本的な規格が合意され、1991年にフィンランドでサービスが始まった。つまり、ほぼ同時期に、GSMがやや先行して規格制定が進められた。両者とも、デュープレックスを周波数分割で実現し、多重化は時分割によって行う。多重数などに違いはあるが、きわめて類似した規格である。PDCの方が周波数の利用効率が高く、満員電車の中で大勢が同時に携帯電話を使う日本ではその必要性が高いと言われるが、全世界で日本だけ別規格を採用せざるを得ないほど環境条件に差があるのかは疑問である。

気を付けないといけないのは、研究者や開発技術者は他社や他の国と違うことをやらなければメシが食えないことだ。そうしないと、論文も書けず、学位も取れず、表彰もされない。 そのため、“Not Invented Here”、つまり、「よそで発明されたもの」を毛嫌いする傾向が強い。しかし、それが社会全体のためになるかどうかはまったく別だ。特に、ソフトウェアやネットワーク技術では、広く普及したものがコスト上圧倒的に有利で、普及程度が低いものはきわめて不利だ。したがって、新技術を開発したり採用したりするときは、単に「他より優れていること」だけでなく、「全世界で、他のものと同等以上に広く普及する可能性があること」も判断基準にする必要がある。

 

郵政省がPDCの採用を指導?

PDCNTTドコモのほか、DDIセルラー、日本移動通信、ツーカーグループ(以上、現KDDIが吸収)、デジタルホン(現ソフトバンクモバイルが吸収)で採用された。1998年にDDIセルラーがcdmaOneを採用するまで、日本の第二世代の携帯電話はPDCに統一されていた。これには旧郵政省(現総務省)の指導があったと言われている。それは、日本国内での規格統一のためや、国産技術育成のためだったのだろう。また、海外の技術の採用を強要する他国の圧力を回避するためもあったかもしれない。第一世代のアナログ携帯電話では、米国政府にモトローラ方式の採用を強く要請された苦い経験があったからだ。

そして、NTTPDCを海外に普及させようとしたが、当時のNTT法がNTTの海外進出を規制していたためできなかったと言われている。

これらの結果として、日本だけPDCを採用することになり、第二世代の携帯電話の市場で日本は世界の孤児になった。GSM200か国以上で使われているが、PDCを使っているのは日本だけである。

従来の電話の世界では、国内だけでの規格統一でよかったが、近年のITの世界では、全世界で普及していることが重要である。郵政省もNTTも、そしてNTT法の審議に当たった政治家も、もっと早く、それに気付くべきだった。

 

PDCの経験を踏まえて

このPDCの苦い経験を踏まえて、第三世代の携帯電話の規格制定に当たって、日本は国際標準に合わせることを大きな目標にした。日本が提案したW-CDMA (Wideband Code Division Multiple Access)*1) は、ヨーロッパの規格案に極めて近いもので、調整の末、最終的に第三世代の標準規格の一つであるUMTS (Universal Mobile Telecommunications System)*2) で使われる無線通信の規格となり、日本もこれを採用することになった。

こうして、第三世代では、日本の携帯電話端末のメーカーも、少なくとも規格については、海外の同業者に対するハンディキャップがなくなった。残る問題は、日本の通信機メーカーの通信事業者への依存体質と、国内市場への引きこもり体質である。

もう一つの問題は、UMTS規格の最終決定前にNTTドコモがサービスを開始したこともあって、いまだに日本ではこれをW-CDMAと呼んでいることだ。そのため、W-CDMAという言葉が元々の日本の規格案と現行規格の両方に使われていて混乱を招き、また、日本国内と海外で用語の食い違いを生じている。つまらないメンツへのこだわりを捨てて、違うものには違う名前を付け、海外でも通用する用語を使うべきだ。それが世界市場を踏まえて戦略を立てるための第一歩である。

OHM20075月号

 

[後記] NTTドコモは、200811月にPDC方式の第二世代の携帯電話の新規受付を終了した。そして、そのサービスを20123月に終了することにしたという。これは1993年のサービス開始から19年後ということになる。通信の世界では、いったん道を誤るとその影響がきわめて長期間にわたって尾を引くことを示している。

 

*1)  W-CDMA: これは本来規格ではなく無線通信技術の一つで、これだけでは相互に通信できない。「UMTSで使われるW-CDMA」は第三世代の携帯電話で使われる無線通信の規格。ただし、現在日本ではこれを単にW-CDMAと呼ぶことが多い

*2)  UMTS: 第三世代の携帯電話の標準規格の一つ。無線通信技術にはW-CDMAが使われ、アプリケーションについては第二世代の標準規格の一つであるGSMを引き継いでいる

 


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