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(株)エム・システム技研 「MS TODAY」2007年4月号 掲載 PDFファイル [(株)エム・システム技研のご提供による]
ITビジネスから見た海外事情
(第4回) 国境のないインターネットの世界
酒井ITビジネス研究所 代表 酒 井 寿 紀
世界中が見ている!
私は10年ほど前から、個人のウェブサイトに雑文や水彩のスケッチを掲載しています。雑文の方は日本語だけですが、スケッチの方は英語のページもあります。このサイトは個人による情報発信の実験室の役割も果たしています。
数年前に、このサイトがどこの国で閲覧されているか調べました。すると、数はもちろん少ないのですが、セイシェル、コスタリカ、キルギスタンなど、とんでもない国(?)からのアクセスがあるのに驚きました。あるとき、アルーバという国からのアクセスがありました。聞いたことのない国だったので調べたところ、カリブ海にある人口7万人の小さい国でした。このように、個人が作ったごく小さいサイトでも、実に世界中からアクセスがあることがわかりました。
ウェブサイトを閲覧している国は、閲覧者のIPアドレスを調べればわかります。しかし、手間をかけて調べない限り、閲覧した人からメールをもらっても、その人がどこの国の人かわからないことがあります。
あるとき、私の水彩画を見て、メールで難しい芸術論を吹きかけられて往生したことがありました。メールアドレスが「.com」だったので、初めはてっきりアメリカ人だと思いました。それにしては英語が少し変だなと思いましたが、アメリカ人の若い人にはこういう英語を使う人もいるのかも知れないと思っていました。しかし、何回かメールを交換しているうちに、実はメキシコで芸術を勉強している女子学生だとわかりました。一般にメールを受け取っただけだと発信者の国籍はなかなかわかりません。インターネットの世界には国境がないのです。私も「.com」のドメインを使っているので、日本人だと名乗らない限り、メールを受け取った人は何人かわからないと思います。
このように世界中の国でウェブを見ている人は、何も若いインターネットのマニアとは限りません。私のサイトを見てメールをくれた、ボストンに住んでいるドイツ生まれの女性には30歳になる息子さんがいました。絵を描いたり詩を作ったりして、自分のウェブサイトに掲載している人でした。インターネットの技術的なことはまったくわからないので、息子さんに助けてもらっているということでした。こういう、インターネットの技術にはまったくうとい人でも、世界中のウェブサイトを見て感想を伝えているのです。
「情断」が通じない世界に!
このように、世界中の人が日本から発信されるウェブを見ています。逆に、日本人も世界中のウェブを閲覧できるわけです。こうして、従来日本では容易に手に入らなかった情報が簡単に入手できるようになりました。
あまりいい例ではありませんが、2003年にある企業の社員が中国の珠江で集団買春事件を起こしました。中国はそれにかかわったホテルの従業員を無期懲役などの刑にし、日本人の関係者3人を国際刑事警察機構(インターポール)を通じて国際的に指名手配しました。しかし、日本と中国の間には犯罪人引渡しの協定がないため、日本政府は引き渡し要請に応じず、また、日本の法律を犯したわけではないので、一般の新聞は手配者の名前や写真を掲載しませんでした。しかし、インターポールは手配者の実名、年齢、顔写真などをインターネットで公開したので、日本人も自由にそれを見ることができ、日本の報道機関の自主規制は事実上無意味になりました。
このようなことは時々起きますが、日本や欧米のように表現の自由が一応保証されている国では、外国からのインターネット情報で混乱をきたすことはまれです。しかし、自由な政治活動が認められていない国や、厳しい戒律で生活が縛られている国にとっては、インターネットを通じて外国から「望ましくない情報」がどんどん入ってくることは、社会の基盤を揺るがす大問題です。従来は国境で情報を遮断すること、つまり「情断」ができたのですが、インターネットの普及で「水際作戦」での「情断」は通用しなくなってしまいました。そのため一部の国は、インターネット経由での国外からの望ましくない情報の流入防止に四苦八苦しています。
たとえば、中国では、民主主義、人権、台湾、チベット、天安門、法輪功などを扱ったサイトは見ることができないということです。そして、こういう言葉が登場するウェブページを探すことが可能なGoogleなどの検索サイトも一時は使えませんでした。現在Googleは中国政府の政策に妥協して、上記のような言葉を除外して検索するようになっているとのことです。そのほか、BBCなどの外国のニュース・サイトも閲覧できないということです。
また、イスラム圏の国では、政治・宗教・性などに関する情報に制約が多いほか、日本や欧米でごく普通の情報でも、これらの国では認められないものがあります。たとえば、サウジ・アラビアでは水着姿や下着姿の女性の写真などは閲覧できないようになっているということです。
そして、イランは、欧米の音楽、映画、テレビの影響でイスラム文化が汚染されるのを防ぐため、インターネットの回線速度を128キロビット/秒以下に抑えて、ブロードバンドの使用を禁止し、事実上これらのコンテンツの視聴を不可能にしているということです。
このように、表現の自由に制約が多い国は、必死になって望ましくない情報を遮断しています。しかし、ニュース・サイトはBBCのほかにも、小さいサイトが世界中に多数ありますし、また検索サイトも世界中に数多くあります。そして、世界中の人権擁護団体や報道の自由の推進団体が、情報遮断に対し反対運動を繰り広げています。たとえこれらの大きい団体のサイトを遮断しても、個人が自分のサイトで同様の趣旨の発言をしているのをすべてふるいにかけることなど不可能です。したがって、インターネットの使用を全面的に禁止しない限り、完全な「情断」は不可能です。
21世紀の課題は?
インターネットは全人類の情報を蓄積し、それを共有する新しい技術を実現しました。そして、この新技術は従来の政治・経済の体制や社会通念を新時代にそぐわないものにしつつあります。過去に、産業革命がもたらした新しい生産手段や交通手段が、それまでの封建領主の割拠や身分制度を新時代にそぐわないものにしたのと同じです。産業革命のときは、このミスマッチが中央集権国家の成立を促しました。同じように、インターネットがもたらす可能性を人類の繁栄のために十分に活かすには、現在の法律や制度を見直し、そして何よりも意識改革を図ることが必要だと思われます。
今後は、表現の自由の許容レベルも全世界で標準化されていくでしょう。たとえば、現在、遺体の写真の扱いについて、日本は諸外国と違いがあるように思います。イラクで武装勢力に射殺された日本の外交官の遺体の写真を欧米の報道機関が公開したとき、日本人は非常に違和感を覚えました。しかし、良し悪しは別にして、こういう差異も次第に全世界で同じレベルに集約していくのではないでしょうか。
各国の制度に差があるのは情報の扱いだけに限らず、たとえば、医薬品の認可などにもあります。日本の薬屋では買えないものでも、海外のインターネット販売を利用すれば簡単に手に入るものもあります。こういう点についても、将来は同一レベルに近づくでしょう。
EUの成立でヨーロッパは一つになりつつあります。ローマ帝国の崩壊後1500年経って元に戻ったという見方もできます。21世紀は、インターネットの普及を契機にして世界が一つになる方向に踏み出すのではないでしょうか。
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