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(株)エム・システム技研 「MS TODAY」2007年3月号 掲載 PDFファイル [(株)エム・システム技研のご提供による]
ITビジネスから見た海外事情
(第3回) 英語が国際ビジネスの公用語
酒井ITビジネス研究所 代表 酒 井 寿 紀
外国人との話は英語が常識
私は1995年に業界団体の一員として東南アジア諸国を訪問しました。インドネシアでは、スドモ提督という、当時のスハルト大統領の最高諮問委員会の議長をされていた方の話を聞きました。このとき、インドネシア語の通訳が同行したのですが、提督は英語で話しました。そこで、英語をインドネシア語に通訳し、それをまた日本語に通訳するという珍妙なことになりました。そのため大変時間がかかり、細かいところで話が混乱しました。英語の原稿が配布されていたため、初めは準備された英語の原稿を読んでいるだけなのかと思っていましたが、話の途中で咳払いして、「カラオケの歌いすぎで喉がかれてしまって」と英語で言い、質疑応答も英語でした。
また、調整大臣という、省庁間を調整する、大統領と大臣の間の位置づけの人の話を聞きました。この人は原稿なしに英語で話しました。
ジャカルタのホテルでパソコンを使おうと思ったら、ホテルのコンセントとが、私が海外出張時にいつも持参している4種類のプラグのどれとも合いませんでした。困っていると、元海軍大佐だったという人が、自ら車を運転してジャカルタの秋葉原のような街に連れて行ってくれました。この人は車の中で、自分は今カリマンタン(元のボルネオ)で金鉱を掘っているのだと流暢な英語で話しました。
また、サリム財閥の社長の話を聞きましたが、この人も原稿なしに英語で1時間以上滔々とサリム財閥の現状を説明しました。話の途中で「catalyst(触媒)」という言葉を使い、通訳がちょっと詰まると、即座に「bridge」と言い換え、頭の回転の速さも気配りもたいしたものだと感心しました。
マレーシアでも会議はすべて英語でした。マレーシアは元英国の植民地だけあって、みんな英語が上手で、英語で話し出すと通訳がいることなど忘れていつまでも話し続けるので困りました。外国人と英語で話すときは普段通訳などいないのでしょう。
これらの国では、最新の海外情報は英語でしか入手できないことが多く、常時英語を使っているのでしょう。現地の人に聞いた話では、英語ができないと役所でも企業でも偉くなれないとのことでした。
外国人との話で英語が一般化しているのは東南アジアに限りません。韓国人の高齢な人には日本語が話せる人が多く、日本語で話ができました。しかし若い人は一般に日本語がでず、そのかわり英語ができる人がいるので、そういう人とは英語で話しました。
ドイツ人、イタリア人などヨーロッパの人とは、仕事のときも食事のときも英語で話しました。イタリアなどの町では、以前はあまり英語が通じませんでしたが、最近は公共機関の窓口の女性やウェイトレスに英語を話す人が増えているようです。私が行ったあるレストランでは、年取ったウェイターは外国人と見ると逃げ回っていましたが、若いウェイトレスはてきぱきと英語で応対していました。
このように、どこの国でも外国人と話す時は英語を使うのがごく普通になっています。
外国人の英語
ヨーロッパの会社の人は、一般的にわれわれよりはるかに英語が上手でした。そのため、話がよくわからないときは、私の英語力が足りないためだと思っていました。しかし、よく聞いていると、そのためだけではないことがだんだんわかってきました。
あるとき、ドイツ人と食事をしていて魚の話になりました。するとその人は「sweet water」という言葉を口にしました。初めは何かと思いましたが、これはドイツ語の「Suesswasser(淡水)」をそのまま英語にしたのです。英語では「淡水」は普通「fresh water」です。またある時、その人は「outlander」と言いましたが、これはドイツ語の「Auslaender(外国人)」をそのまま英語で置き換えたのです。英語では「外国人」は普通「foreigner」ですが、この言葉が思い浮かばなかったのでしょう。
また、あるイタリア人が、「ハイガー!」、「ハイガー!」と言うので何かと思ったら「higher」のことでした。腕を上にあげて叫んだのでやっと分かりました。またこの人は、「talk(話す)」と言えばいいところで「dialog」という難しい言葉を使い、面食らったこともあります。
こういう英語(?)をどんどん使われたらたまったものではありません。しかし、細かい文法上の誤りどころか、このような普通英語では使わない言葉を使ってでも、何とか意思を伝えようとする姿勢には学ぶべき点が多いと思います。ドイツ製英語やイタリア製英語が堂々と(?)通用しているのが現実ですから、和製英語をあまり恥ずかしがることはないでしょう。
インターネットの世界では
ヨーロッパの美術館や博物館へ行くと、よく数か国語のガイドブックを売っています。そういうところでは、たいてい日本語のものもあります。20年以上前のことですが、ドイツのマンハイムの駅前の案内所で、マンハイムの地図がないか聞いたところ、何と日本語版の案内をくれたのには驚きました。
しかし、インターネットの世界はちょっと違います。ウェブで外国語の案内を用意していても、英語だけのことが多いようです。たとえば、私が行ったことがあるところでも、パリのルーブル美術館、フィレンツェのウフィッツィ美術館、マドリッドのプラド美術館、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城などの案内は、すべて自国語と英語だけです。ドイツのハイデルベルク城は7ヶ国語の案内を用意していますが、こういうのはむしろ例外のようです。
こういう状況なので、英語さえわかれば、ウェブで海外のかなりの情報を入手することができます。逆に英語ができなければ、海外のウェブを利用することは一般に困難です。インターネットの世界では英語が事実上の公用語になっているのです。
英語を第二言語に
われわれ非英語圏の者にとって、英語が全世界で実質上の共通言語として使われているのは残念なことです。しかし、今や日本語やほかの言語がその役割を取って代わることは考えられません。そして、共通言語はないよりあった方がやはりいいでしょう。したがって、しょせん言語は道具に過ぎないと割り切って英語を身につけるのが、今や現実的なのではないでしょうか。
政治、経済、学術などすべての面で、小国ほど外国との関係が大きい比重を占めます。そのため、小国の人ほど英語を使う機会が多く、英語が上手なように思います。スペインからポルトガルに入ったとき、レストランのウェイターもお土産屋のおばちゃんも、スペイン人よりポルトガル人の方が英語がうまいように感じました。外国への依存度がより高いためでしょう。これらの国では英語が事実上第二言語になりつつあるように思います。
不幸にして日本は大国で、日本に住んでいる限りあまり英語を必要としません。そのため、意識的に英語の第二言語化に力を入れないと、日本人の英語力は向上しないと思います。今までも、日本はそれなりに英語教育に力を入れてきましたが、それはあくまでも外国語としてです。外国語としての英語の勉強では、英語の習得自身が目的です。しかし、第二言語として身に付けるというのは、まったく違って、日本語と同じように、情報を入手し、それを記憶し、それを伝える手段として、英語を使えるようになることです。つまり、英語の習得は最終目的ではなく、英語は目的を達成するための道具なのです。道具を完全に身につけるには若いうちから常時使うしかありません。東南アジアなどの人々がわれわれよりずっと英語が上手なのは、英語を使わざるを得ない環境にあるからだと思います。
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