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オーム社 技術総合誌「OHM」2005年12月号 掲載 PDFファイル
(下記は「OHM」2009年1月号の別冊付録「ITのパラダイムシフト Part T」に収録されたものです)
酒井 寿紀 (さかい としのり) 酒井ITビジネス研究所
1965年に、IBMはシステム/360モデル67というコンピュータを発表した。このコンピュータには「バーチャル・メモリ」という機能があったが、これがコンピュータの世界に「バーチャル」という言葉が登場した最初だと思う。
バーチャル・メモリというのはプログラムが使う論理的なメモリで、ディスクに格納されたプログラムを実行するとき、必要な部分だけを4キロバイト単位で物理的なメモリに読み込むものだった。この機能によって、プログラマは物理的なメモリ容量の制約から解放された。このバーチャル・メモリの機能は、1970年に発表されたシステム/370以降、IBMの全モデルに採用された。
1960年代には、「バーチャル・マシン」というものも現れた。これは1台のコンピュータを論理的に何台ものコンピュータに見せかけるもので、いくつもの違ったオペレーティング・システム(OS)を同時に動かすことができた。
その後、ファイルを管理するソフトウェアとしてVSAM (Virtual Storage Access Method)というものが現れた。これによって、アプリケーション・プログラムはディスク上の物理的なデータの配置から開放された。そして、通信管理のソフトウェアとして「VTAM (Virtual Telecommunications Access Method)」というものも現れ、プログラマは通信回線の手順の詳細を知らなくても端末とのやり取りができるようになった。
最近、VPN (Virtual Private Network)というものが流行している。これは、インターネットで接続されている企業の事業所間を、あたかも専用回線で接続されているように見せかけるものである。また、VLAN (Virtual LAN)といい、事業所ごとのLANを回線で接続して、あたかも一つのLANのように見せかけるものもある。
コンピュータの初期のプログラムは機械語で書かれたが、その後、プログラミング用言語で書かれるようになった。これも、物理的なリアルな世界から、論理的な世界への移行という意味で、広い意味でのバーチャル化である。また、最近インターネットで使われているTCP/IP*1) というプロトコルは、物理的な回線がアナログの電話回線でも、ADSL*2) でも、光ファイバでも同じように使えるので、これも広い意味でのバーチャル化の一種と言える。このように、コンピュータの登場以来、バーチャル化がコンピュータやネットワークのいろいろな分野で行われてきた。
バーチャル化のメリットは何なのだろう? その一つは、プログラムの自由度の拡大である。バーチャル化によって、メモリ容量や、ディスク上のデータの配置など、面倒な物理的制約を気にすることなくプログラムを書けるようになった。そして、一つのプログラムをいろいろな構成のコンピュータで使えるようになった。また、技術の進歩でメモリ容量やディスクの仕様が変わっても、プログラムを変更しないで済むようになった。つまり、プログラムのポータビリティ(移行性)が向上した。
もう一つのメリットは、コンピュータ・システムを構成する資源の利用効率の向上である。バーチャル化によって、物理的に一つの資源を、多数のユーザーがあたかも自分専用のもののように使える。例えば、バーチャル・メモリのユーザーには、あたかも自分がメモリを独占しているように見え、また、VLANのユーザーには、遠隔地の事業所があたかも自社のLANでつながっているように見える。
一方、バーチャル化のデメリットとして、処理の複雑化による性能低下がある。しかし、半導体技術の進歩によって、コンピュータの性能がどんどん上がったため、性能低下のデメリットよりも、上記のようなメリットの方が大きくなった。そのため、次々とバーチャル化が進んできた。
IT製品は、コンピュータから、ビデオ・ゲーム、携帯電話、カー・ナビゲーションなどへと広がってきた。これらの新しい分野でも、当初は物理的制約の下でプログラムが書かれた。しかし、これらの製品についても、プログラムを物理的制約から解放することによって、蓄積されたソフトウェア資産を活用できるようにするメリットは大きい。そのため、今後はこれらの製品についてもバーチャル化が進み、従来の大型コンピュータ同様、新しいソフトウェアの開発と、新しいハードウェアへの切り換えが、平行して独立に行われるようになっていくだろう。
現在、全世界に蓄積されている、マイクロソフトのオフィス製品で作られた、ワードプロセッサや表計算のデータは膨大な量になる。また、世界中のウェブサイトで使われている、HTML言語で記述された情報の量も大変なものだ。技術の進歩でハードウェアは将来大きく変わっていくだろうが、これらの過去に蓄積されたソフトウェア資産は、今後何十年にもわたって使っていく必要がある。それを実現するには、ソフトウェアを物理的な制約のあるハードウェアから切り離すことが必須だ。例えば、記憶媒体が磁気ディスクや光ディスクから半導体メモリに変わっても、アプリケーション・ソフトは影響を受けないことが望まれる。したがって、バーチャル化は今後もまだまだ続く。
「OHM」2005年12月号
[後記] 最近は、携帯電話の高機能化に伴い、携帯電話にSymbian OSやWindows Mobileなどの汎用性のあるOSを使うものが増えた。こういうOSは、アプリケーション・プログラムから物理的な「モノ」を見えなくすると言う意味で、バーチャル化を実現するものである。2007年には、アップルがiPhone OSを発表し、グーグルがAndroidという、LynuxのOSを使った携帯電話用のプラットフォームを発表した。今後携帯電話の世界でもOSやプラットフォーム間の競争が熾烈になると思われる。
また近年、ネットワークで接続された多数のパソコンを使って、スーパーコンピュータ並みの計算能力を提供するグリッド・コンピューティングというシステムが出現した。これはユーザーからはパソコンが見えない「バーチャルなスーパーコンピュータ」である。
*1) TCP/IP: Transmission Control Protocol / Internet Protocolの略。インターネットに使われる通信規約。
通信規約を7階層に分けたとき、物理的規約の第1層とアプリケーションの規約の第7層の中間に当たる第3層(IP)と第4層(TCP)を取り決めたもの
*2) ADSL: Asymmetric Digital Subscriber Lineの略。電話の加入者回線で高速のディジタルデータを伝送する技術で、下り(電話局から加入者)の伝送速度を上りより高速にしたもの
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