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「Pen・友」第34号(2005年10月発行)掲載     PDFファイル

ハワイ語の教訓 

     

日本語の中の英語は英語ではない

 

  井  寿  紀

 

ハワイ語の子音は七つだけ

 

昨年(2004年)、ハワイに住んでいる親戚を訪ねた。初めての国へ行くと、その国の言葉に興味が湧く。ハワイは独立した国ではないが、ハワイにはハワイ語がある。ハワイは2回目なのだが、前に行ったときは仕事が大変で、ハワイ語どころではなかった。今回は余裕があったので、ハワイ語の小さい辞書を眺めてみた。すると、いろいろ面白いことが分った。

ハワイ語の母音は、「aeiou」の五つで、日本語の「あ、い、う、え、お」と同じである。ところが、子音が、何と「pkhlmnw」の七つしかない。

これが、ほかの言葉と比べて、どれぐらい少ないかというと、例えば、英語の子音は、普通2425と言われている。これに対しハワイ語では、「bdfgjrstvz」の計10個の文字に対応する子音がない。このほか、英語で「th」、「sh」、「ch()」で表わされる子音もない。

日本語の子音の数は、50音の「カ、サ、タ、ナ、ハ、マ、ヤ、ラ、ワ、ガ、ザ、ダ、バ、パ」の14行と「キャ、シャ、チャ、ニャ、ヒャ、ミャ、リャ、ギャ、ジャ、ビャ、ピャ」の11行を加えた25行に対して一つずつ子音があると数えれば25である。さらに、これに近年使われている「ファ、ヴァ」の行も加えれば、27になる。

要するに、ハワイ語の子音の数は、英語に比べても日本語に比べても3分の1以下なのだ。

それでも、「ハワイ」(Hawaii)の「オアフ」(Oahu)島の「ホノルル」(Honolulu)や「マウイ」(Maui)島の「カフルイ」(Kahului)に住んで、「マヒマヒ」(Mahimahi:魚の名前)を食べて「コナ」(Kona)コーヒーを飲み、「ウクレレ」(ukulele)で奏でられた「アロハ・オエ」(Aloha oe)の曲にあわせて「フラ」(hula)ダンスを踊っていれば問題は起きない。ここに出てきたハワイ語の子音は全部上記七つに含まれるからだ。

ところが、ここに困った問題が起きる。

 

 

英語からの外来語はどうなった?

 

ハワイは昔から米国文化の影響が強かっただけに、ハワイ語には、日本語と同じように、英語からの外来語が非常に多い。ところが、ハワイ語には英語の3分の1以下の子音しかないので、英語がまともに表現できない。

そのため、英語の「t」、「d」、「s」、「z」、「g()」、「g()」、「th」、「ch()」はすべて「k」にしてしまった。例えば、「tennis」は「t」も「s」も「k」にして「ケニカ」(kenika)、「tiger」は「t」も「g」も「k」にして「キカ」(kika)」という具合だ。同様にして、「soap」は「コパ」(kopa)に、名前の「George」は「ケオキ」(Keoki)に、「theater」は「ケアカ」(keaka)に、「chocolate」は「ココレカ」(kokoleka)になった。「ticket」に至っては、「キキキ」(kikiki)になってしまった。どの言葉も「k」だらけだ。

そして、「b」と「f」は「p」にした。例えば、「rabbit」の「b」は「p」になって「ラパキ」(lapaki)になった。同様に、「coffee」は「コペ」(kope)、「California」は「カレポニ」(Kaleponi)という具合だ。「f」と同じ音の「ph」も「p」になり、「Philipines」は「ピリピノ」(Pilopino)になった。

また、「v」は「w」にした。そのため、「violin」は「ワイオリナ」(waiolina)になり、「velvet」は「ウェレウェカ」(weleweka)になった。もっともハワイ語の「w」は「v」と同じように発音することもあるようだ。

そして「sh」は「h」にしたので、「sheep」は「ヒパ」(hipa)になってしまった。

j」は、どういうわけか子音でなく母音の「i」にしたので、「Japan」が「イアパナ」(Iapana)になり、「July」が「イウライ」(Iulai)になった。どこかでラテン語かドイツ語の影響を受けたのだろうか?

そして、ハワイ語には日本語と同じように、「l」と「r」の区別がない。ただ、日本語と違うのは、ハワイ語のラ行に当たる音に「l」を当てた。そのため、英語の「l」はもちろん、英語の「r」もハワイ語では「l」になった。例えば、「radio」が「レキオ」(lekio)、「rice」が「ライキ」(laiki)、「room」が「ルミ」(lumi)、「America」が「アメリカ」(Amelika)という具合だ。カナで書くと区別ができないが、もとの言葉の「r」がすべて「l」になっている。

このように、ハワイ語には出身が英語とはとても思えない言葉が多い。

 

日本語も五十歩百歩

 

では、日本語ではどうだろうか? ハワイ語ほどではないにしても、日本語でも、カナで表わせない英語の子音は多い。

まず、「th」がある。「third」は「サード」、「theater」は「シアター」、「therapy」は「セラピー」、「rhythm」は「リズム」と書くが、「th」と「サ行」や「ザ行」の音は違う。

また、「si」を「シ」、「zi」を「ジ」で表わすのも正確ではないが、日本語に「si」や「zi」に対応する音がないのでしかたがない。

最近、イラク関係の報道で「Aljazeera」が有名になり、日本の新聞の中には、発音にこだわって「アルジャジーラ」でなく「アルジャズィーラ」と書いているものもある。だが、同じように発音にこだわるなら、「New Zealand」は「ニュージーランド」でなく「ニューズィーランド」、「San Francisco」は「サンフランシスコ」でなく「サンフランスィスコ」、「Sydney」は「シドニー」でなく「スィドニー」、「Singapore」は「シンガポール」でなく「スィンガポール」と書かなければならないので、片手落ちである。

日本語では、「v」に対してはヴァ行も使われるが、普通はバ行を当てることが多い。例えば、「video」は「ビデオ」、「volleyball」は「バレーボール」、「Venice」は「ベニス」などだ。そのため、英語の「v」と「b」の区別がつかない。「ballet」も「volley」も「バレー」である。

そのほか、「tour」は「ツアー」、「two」は「ツー」、「today」は「ツデー」とも書くが、これも音は違う。しかし英語の「トゥ」に当たる音が日本語にはないのでしかたがない。

前に触れたように、ハワイ語では、英語の「l」も「r」も「l」で表わすが、日本語では「l」も「r」もラ行で表わし、ローマ字で書くときは、ハワイ語とは逆で「r」を使う。

ハワイ語のラ行に当たる音が、英語の「r」より英語の「l」に近いのかどうかは知らない。しかし、日本語のラ行が、英語など、ヨーロッパの言葉の「l」より「r」に近いかどうかは疑問だ。例えば、フランス語について言えば、日本語のラ行は、のどの奥から搾り出すようなフランス語の「r」よりは、まだフランス語の「l」の方に近いだろう。にもかかわらず、ラ行をローマ字で書くときは「r」を使う。日本語のラ行も、ハワイ語と同じように「l」で表わした方がよかったように思うがどうだろうか。

いずれにしても、日本語では「r」と「l」の区別ができないため、「road」も「load」も「ロード」になり、「race」も「lace」も「レース」になり、「right」も「light」も「ライト」になって、カナ書きではどっちか分からない。

程度の差はあっても、日本語もハワイ語と五十歩百歩なのだ。

 

 

street」、「spring」なんてやめてくれ!

 

ハワイ語の子音は、日本語の子音と同じで、必ず母音を伴う。英語などのように、子音が続いたり、言葉の最後が子音で終わったりすることはない。従って、子音が続いたり、子音で終わったりする言葉には、母音を補う必要がある。

例えば、「truck」は「(kalaka)に、「ice cream」は「アイ(aikalima)になった。このように、子音に「a」を付けることが一番多いようだ。

このほか、「golf」は「コパ」(kolepa)に、「rose」は「ロ(loke)に、というように、子音に「e」を付けるものもある。また、「Christmas」が「カリマカ」(kalikimaka)に、「room」が「ル(lumi)になるように、「i」を付けるものもある。

子音が並んだり、子音で終わったりするときに母音を付ける必要があるのは日本語も同じだ。しかし日本語では、「kick」が「キッ」、「kiss」が「キ」、「half」が「ハー」、「room」が「ルー」、「girl」が「ガー」、「top」が「トッ」というように、「u」をつけ「ウ段」の音にすることが多い。ただし、「hit」は「ヒッ」、「Sydney」は「シニー」というふうに、「t」や「d」には「o」を付けて「ト」や「ド」にする。これはたぶん「タ行」や「ダ行」では「ウ段」の「ツ」や「ヅ」の音が特殊で、子音が「t」や「d」と違うからだろう。

このように、子音の後に、ハワイ語では「a」、「e」、「i」を付け、日本語では「u」か「o」を付ける。同じ目的に対してまったく違う母音を使っているところが面白い。

考えて見れば、子音の後には母音があった方が自然で、誰にとっても発音しやすく、また、聞き取りやすいはずだ。その点、英語などのヨーロッパの言葉は、われわれにとって非常に付き合いづらい。「start」、「milk」など子音の2連続でも難しいのに、「street」、「spring」などように3連続のものまである。ヨーロッパの人にとっても決して発音や聞き取りがやさしいと思わないのに、どうしてこういう言葉ができてしまったのだろう。

この点については、日本語やハワイ語の方がすぐれた言語と言えるのではなかろうか?

ハワイ語では、子音が続くとき、大胆にも、最初の子音を略してしまったものもある。例えば、「spoon」は「プナ」(puna)になり、「school」は「クラ」(kula)になって、頭の「s」はどこかへ行ってしまった。しかし、これは耳で聞く限り、日本語の「スプーン」や「スクール」より英語に近いかも知れない。また、「August」は「アウカケ」(Aukake)になった。これは、「g」も「s」も「t」もハワイ語では「k」になるので、まともに書き換えると「k」が多すぎるためだろうか?

 

「ン」もないハワイ語

 

ハワイ語と同じように、日本語も、子音の後に必ず母音が来ると書いたが、これには例外がある。「n」、つまり「ン」である。現在の日本語には、「ニンゲン(人間)」、「カンゼン(完全)」など、「ン」が非常に多いが、これらはすべて中国語から取り入れたものである。もともとの「やまとことば」では、「ン」は「(犬が)ワンワン(とほえる)」「ダンダン(暖かくなる)」、「グングン(伸びる)」など、擬声語、擬態語のたぐいにしか使われなかったのではなかろうか。しかし、いずれにしても、日本語には昔から「ン」があった。

ところが、ハワイ語には「n」で終わる音がない。そのため、「n」のあとに子音がきたり、「n」で終わったりするときも、母音を補う必要がある。「gasoline」は「カカリ(kakalina)、「telephone」は「ケレポ(kelepona)、というように「a」を付けたり、「ink」は「イカ」(inika)、「pencil」は「ペカラ」(penikala)、というように「i」を付けたり、「June」は「イウ(Iune)、というように「e」を付けたりする。ほかの子音と同じである。

n」の後に別の子音があると、それを省略してしまったものもある。例えば、「France」は「パラ(Palani)になり、最後の「s」の音は消えてしまった。また、「elephant」は「エレパニ」(elepani)、「thousand」は「カウカニ」(kaukani)になり、最後の「t」や「d」の音はなくなった。日本語は几帳面に全部の音を読み書きするが、どっちがより原音に近いかは疑問だ。

もし日本語に「ン」がなかったら、ほかの子音と同じように、「n」にも「u」を付けて、「フランス」は「フラス」、「インク」は「イク」、「ガソリン」は「ガソリ」と言ったのだろうか?

 

 

言葉は生き物である

 

このように、一つの言語で、ほかの言語の音を正しく表わそうとしても限界がある。その上、変な習慣が根付いてしまうこともある。例えば、日本で「記憶装置」のことを、普通「ストレージ」と言っているが、「storage」をカナ書きするなら、「ストーリジ」か「ストーレジ」の方が原音に近い。しかし、どういうわけか、「ストレージ」がすっかり定着してしまっている。

また、新聞もテレビも、「digital」を「デジタル」と書いたり読んだりしている。「disk」を「ディスク」、「desk」を「デスク」とちゃんと言い分けるのに、何故「digital」を「ディジタル」と言わないのか不思議だ。

そして、日本語の中の英語が問題なのは発音だけではない。「サラリーマン」、「ガソリンスタンド」、「シャープペンシル」、「コンセント」など、英米人には通用しない英語()が多数ある。

また、英米とは違う意味で使っている言葉も多い。例えば、「diet」は、英語では食事による減量だが、日本では運動による減量も含めて、体重を減らすことをすべて「ダイエット」と言っている。

数年前、若い人に、「あの子は飲むとすぐハイ・テンションになる」と言われて驚いた。「high tension」というと、小泉総理と金正日の拉致問題の会談のような、一触即発の張り詰めた空気を感じてしまうが、日本では、飲んで陽気になることを「ハイ・テンションになる」と言っているらしい。

先日、あるアメリカ人の講演のあと、日本人が英語での質問の中で、「restructuring」という言葉を使って話が混乱していた。日本では「リストラ」を「layoff」の意味で使っていることを再認識させられた。

もう一つ、ややこしい例を挙げると、「OEM (Original Equipment Manufacturer)」という言葉がある。これは、日本では、コンピュータなどの世界で、メーカーが他社から製品の供給を受けて、自社のブランドを付けて売るときの、製品の供給元を指す。ところが、現在の米国では、普通はまったく逆で、供給先の方を指している。これは、「OEM」という言葉の意味からも、もともとの意味は供給元だったものが、最近の米国で誤用されているものだ。このことは、米国の多くの用語解説書も認めている。しかし、米国の方が誤用であろうと何であろうと、同じ言葉が米国と日本で、まったく逆の意味で使われているのは厳然たる事実だ。アメリカ人に対して、日本で使われている意味で「OEM」を使えば、話が混乱するのは確実だ。

言葉は生き物で、このように、同じ言葉が米国と日本でそれぞれ別の進化()を遂げているものもある。そして、どんなに変な英語でも、一度定着すると、それを直すのは容易ではない。

 

日本語の中の英語は英語ではない

 

ハワイアンに「カイマナ・ヒラ」という曲があるが、これが「ダイヤモンド・ヘッド」のハワイ語とは思いもよらなかった。英語の「Diamond Hill」が「Kaimana Hila」になったのだという。

ほかにも、もとが英語とは思えないものが多い。「キキキ」が「チケット」で、「パラニ」が「フランス」、「カラカ」が「トラック」のことだとは、われわれにはとても想像できない。

しかし、考えてみると、日本語を知らない人に、「サード」(sado)が「third」、「ミルク」(miruku)が「milk」、「コーヒー」(kohi)が「coffee」のことだと分るものだろうか? 

ハワイ語の中の英語の発音のすさまじさには仰天する。しかし、ハワイ語の中の英語が、本当の英語から程遠いのと同じように、日本語の中の英語も本当の英語からは程遠いのだ。

そして、日本人にとっては、本当の英語より、日本語の中の英語らしきものに接する機会の方がはるかに多い。そのため、日本語の中の英語が増えれば増えるほど、日本人の英語は下手になる。日本語の中にカタカナ英語をちりばめて得意になっている有名人は、日本人の英語力の低下を招いていることを悟るべきだ。

要するに、日本語の中の英語は英語ではない。従って、英語を話したり書いたりするときは、まず日本語の中の英語を忘れることが大切である。

(完)

  


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