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オーム社 技術総合誌「OHM」2005年5月号 掲載 PDFファイル
(下記は「OHM」2009年1月号の別冊付録「ITのパラダイムシフト Part T」に収録されたものです)
「Cell」はどうなる?
酒井 寿紀 (さかい としのり) 酒井ITビジネス研究所
Cell登場!
ソニーとIBMと東芝の3社は、2005年2月にサンフランシスコで開催されたISSCC (International Solid-State Circuits Conference)で、2001年以来共同で開発を進めてきたマイクロプロセッサ「Cell」について発表した。
このCellの開発を推進してきたソニーの久多良木副社長は、2005年3月の経営陣の交替で異動することになったが、次のような趣旨のことを言い続けてきた1), 2), 3)。「Cellは、コンピュータの歴史における初めての変革だと思う。世界中のコンピュータにCellが組み込まれれば、1個のOSの下で連携動作しているように見える。CellをDVDレコーダ、テレビ、ホーム・サーバなどに順次使っていく。Cellはコンピュータの概念を変える」
このような同氏の構想は実現するのだろうか?
Cellの特徴は?
まず、Cellの特徴について見てみよう。
Cellの最大の特徴は、ハウスキーピング用の汎用プロセッサ1個と、グラフィックスや画像の処理に適した演算用プロセッサ8個を一つの半導体チップに搭載したマルチコアのチップだということだ。しかし、半導体の進歩によって、プロセッサは必然的にマルチコアの方向に向かっている。2005年現在、IBMやサン・マイクロシステムズは2コアのプロセッサ・チップを製品化しており、インテルやAMDも開発中である。またサンは、Niagaraという8コアのプロセッサ・チップを2006年の出荷に向けて開発中だ。そして、今後半導体の集積度が上がれば、マルチコアのコア数はどんどん増えていく。
Cellは、演算用プロセッサの汎用性を犠牲にして単純化し、チップ上の面積を縮小することによって、他社に先駆けて9プロセッサからなるヘテロジニアスなマルチコアを実現した。確かに、数値計算やグラフィックスの処理ではヘテロジニアスなマルチコアが有効なケースが多い。しかし、ヘテロジニアス化することによって、チップ面積をたとえ半分にできたとしても、半導体の集積度が従来通り1.5年で2倍になれば、1年半の時間が稼げるだけである。そして、ヘテロジニアスなマルチコアは、2種のプロセッサ間の融通が効かず、また、一般のアプリケーションでは効果が小さい。そのため、市場が限定され、一般のサーバ用のマイクロプロセッサほど量産効果を期待できない。しかも、これを使うためには従来使ってきたソフトウェアを変更する必要がある。このように、ヘテロジニアスなマルチコアには長所と短所がある。
その他のCellの特長としては、90nmのプロセスを使っていること、周波数が4GHzと高いことなどだが、例えばインテルは、90nmで3.8GHzのプロセッサをすでに販売しているので、特別に進んでいるわけではない。
Cellの適用製品はどうなる?
このような特長を持つCellは、どのような製品に適用されるのだろうか?
Cellはソニーが、グラフィックス性能の飛躍的向上を狙って、次期ビデオ・ゲーム用に開発したものである。そのほかの製品としては、並列演算に適しているため、スーパーコンピュータやワークステーションへの適用が考えられる。すでに、2004年11月に、IBMとソニーはCellを使ったワークステーションの試作機を発表した。また、性能の限界を追及するスーパーコンピュータには、それがCellになるかどうかは別にして、将来ヘテロジニアスなマルチコアが有力な選択肢になると思われる。ただ、既存市場にとってプロセッサは、所詮、蓄積されている膨大なソフトウェアを動かすためのエンジンにすぎない。そのため、新エンジンに飛躍的な改善がない限り、互換性のないエンジンへの切り替えは起きない。いまだに1964年に誕生したIBMの360アーキテクチャが生き残っている世界なのだ。
次に、今後の発展が期待される次世代のAV機器についてはどうだろうか? これを機能面から分けると、@地上波や衛星放送の電波、CATV、インターネットなどからAVコンテンツを取り込む機能、Aそのコンテンツを蓄えておく機能、Bそのコンテンツを家庭内のネットワークに送出する機能、Cそれを受け取って映像・音声を再生する機能になる。@〜Bの機能は、1家庭に1台のホーム・サーバによって提供され、Cは、居間や寝室などに置かれるテレビやステレオ、そして携帯音楽プレーヤやカーステレオなどによって提供されるのが一般的になるだろう。こういう家庭では、テレビにチューナは不要で、1チャネルの映像・音声が再生できればよい。
家庭のAVシステムがこのようになったとき、Cellは信号処理にすぐれているので、映像信号を復号する機器に使われることになるだろう。たとえば、それがテレビで行われれば、テレビに小さいCellが使われるが、ホーム・サーバにはCellは不要になる。つまり、情報家電の新時代が来ても、どのAV機器にもCellの演算性能が要求されるというわけではない。
そして、小さいプロセッサは、今後、半導体製品としてではなく、システムLSIに組み込まれるコアの知的財産権として供給されるようになる。ソニーはCellを中心にした製造設備だけで2,000億円投資したということだが、Cellに過剰な期待をすると裏切られるおそれが大きいと思われる。
「OHM」2005年5月号
[後記] ここに記したマルチコア化はその後も進み、パソコンではインテルのCore 2など、4コアのCPUを使うのが一般的になった。また前記のサン・マイクロシステムズのNiagaraは、UltraSPARC T1として2007年12月から出荷が始まり、現在16コアの後継製品を開発中という。
Cellを使ったソニーの次期ビデオ・ゲームは、PLAYSTATION 3として2006年11月に発売された。
IBMは米国ロスアラモス国立研究所向けに、改良型のCellを使ったRoadrunnerというスーパーコンピュータを開発し、2008年6月に本機が史上初めて1 ペタFLOPS(毎秒1,000兆回の浮動小数点演算を実行)を記録したと発表した4)。
一方ソニーは、Cellの生産から手を引き、2007年10月にCellおよびその後継品の半導体製造設備を東芝に売却すると発表した5)。(2009年1月)
Cellのその後については「『Cell』の教訓」(ブログ、10/12/31)をご参照下さい。(12/8/12)
参考文献
1) 「久多良木健」、日経エレクトロニクス、2001年4月9日号、pp.174-179、日経BP社
2) 「久多良木健氏に真意を聞く」、日経エレクトロニクス、2003年12月22日号、pp.98-101、日経BP社
3) 「Interview <Cellの開発トップに聞く>」、日経エレクトロニクス、2005年2月28日号、pp.118-121、日経BP社
4) “Fact Sheet & Background: Roadrunner Smashes the Petaflop Barrier”, IBM Press Release, 09 June 2008
(http://www-03.ibm.com/press/us/en/pressrelease/24405.wss)
5) 「ソニー、08年3月メド・東芝への半導体設備売却」、日本経済新聞、2007年10月18日
(http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=NN003Y149%2017102007)
[関連記事]
(a) 酒井 寿紀、「「Cell」はどうなった?」、OHM、2013年6月号、オーム社
(http://www.toskyworld.com/archive/2013/ar1306ohm.htm)
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