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No.3 酒 井 寿 紀 2000/3/12
「バブル度」を監視しよう!
日本の株式市場はこの10年間に壊滅的バブル崩壊を経験してきた。株価が3分の1近くに下がり、10年経った今でもまだ2分の1程度にしか戻っていない。こういうことは2度と再び起きて欲しくないが、関わっている人間も、政治や経済の体制もそんなに変わっていないから、今後も起きると考えておくべきだろう。
年度 |
GDP (兆円) |
TOPIX | TGR |
- |
a |
b |
b/a |
1950 |
3.9 |
12 |
2.9 |
1955 |
8.6 |
33 |
3.8 |
1960 |
16.7 |
97 |
5.8 |
1965 |
33.8 |
92 |
2.7 |
1970 |
75.3 |
163 |
2.2 |
1975 |
152.4 |
312 |
2.1 |
1980 |
245.5 |
474 |
1.9 |
1985 |
324.3 |
998 |
3.1 |
1986 |
339.4 |
(1500) |
(4.4) |
1987 |
355.5 |
(2000) |
(5.6) |
1988 |
379.7 |
(2250) |
(5.9) |
1989 |
406.5 |
(2700) |
(6.6) |
1990 |
438.8 |
2178 |
5.0 |
1995 |
489.8 |
1379 |
2.8 |
1996 |
504.4 |
1606 |
3.2 |
1997 |
507.6 |
1397 |
2.8 |
1998 |
479.3 |
1178 |
2.5 |
そうだとすれば、問題は、いかにしてこういうひどいバブル崩壊から身を守るかだ。被害を完全に回避することは不可能だと思うが、被害を最小限に押さえる方法はあるはずだ。
現在の株価のレベルが「バブル崩壊」のポテンシャルをどの程度持っているのかを判定する「バブル度」の物差しはないものだろうか? このポテンシャルが分かれば、いつ「バブル崩壊」が起きるかははっきりしなくても、それなりの対応ができよう。
こういう物差しの一つの具体例を以下に示そう。
株価は長期的には経済活動の実態を反映するものだと思う。日本全体の株価のレベルを最もよく表すものとして、東証1部の時価総額を反映するTOPIXを採用し、これを、日本全体の経済活動の実態を表す代表的指標であるGDPでノーマライズしてみよう。仮にこれをTGR(TOPIX-GDP-Ratio)と呼ぶことにしよう。右の表は最近50年のこのTGRの推移である。(1950年はGDPの統計がないためGNPを使用。また86〜89年のTOPIXの年平均値が手元になかったのでグラフから概算値を推定)
これを見ると、神武相場で沸いた1955年、岩戸相場の真っ最中で、池田内閣による「所得倍増計画」が出た1960年、そして1986年から90年にかけてのバブルの時期を除き、TGRは概ね2〜3である。50年間の間に、GDPもTOPIXもほぼ100倍に増えたが、これらの一時期を除き、両者はほぼ比例しているのだ。これだけ長期間に渡ってTGRの変動範囲が変わっていないということは、今後も経済体制の大変化がない限り、この状態が続くだろう。
従って、「TGRが3より遥かに大きいのは異常状態である」と言えよう。また、「異常状態は長続きせず、必ず元に戻る」ということも言えよう。
この表を見ると、86年から89年にかけての株価の上昇は、この50年間でも飛びぬけた異常値で、経済の実態から全く遊離していたことがよく分かる。今後これに近い状態が起きたら危険信号と見なければならない。
それでは最近の高株価はどうだろうか? 最近のTOPIXの1,700を、GDPはほぼ横這いと見て500兆円で割るとTGRは3.4となり、「やや高めで要注意」ぐらいなところだろうか?
過去50年のデータから、仮にTGRが5以上を危険水域とすると、当面GDPは500兆円で横這いとして、TOPIXが2,500を超えたら危ないということになる。
しかしここで注意を要することがある。
そのひとつは、最近のように「情報通信」一極集中の株高の時は、市場全体としてはそれほど異常状態でなくても、「情報通信」に限ればもう既に充分危険水域に入っている可能性があることだ。
もうひとつは、株価というのは将来の経済状態を先取りするものだから、GDPが同じでも、成長率が大きい時は株価はある程度高くてもよいが、成長率が低い時は株価は相対的に低くなるべきだ、ということだ。つまり、1950〜90年の高度成長時代に比べ、1990年以降の低成長率の時代にはTGRがある程度下がるべきだということである。
市場セグメントの差や、成長率の影響も取り入れた、もっと精度の高い「バブル度」の物差しがあれば有り難い。しかしこのTGRのようないい加減な物差しでも、何もないより遥かにましだと思う。あとは使う人の使い方である。
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