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No.602                     酒井ITビジネス研究所  酒井 寿紀                      2006/07/12


「国家の品格」の品格

 

藤原正彦氏による「国家の品格」が100万部以上売れたというので、読んでみた。本書には部分的には共感できる点もあるが、首をかしげたくなる記述も多いように思う。ここでは疑問に思った点から3点取り上げる。

「自由」や「民主主義」は無意味か?

著者は言う。「『自由』は積極的に賞揚すべき概念ではありません。」なぜなら、「自由の強調は『身勝手の助長』にしかつながらなかった。」そして、「人間にはそもそも自由がありません。法律が網の目のように張り巡らされています。」と言う。

著者も「言論の自由」についてはその意義を認めている。しかし、自由にはほかにも「信教の自由」、「職業選択の自由」など数多くある。イスラム圏に行けば、信教の自由が存在しないほか、酒は飲めず、セックス・シーンのある映画は見ることができず、夫婦以外の男女は二人で外を歩けず、女性は肌を見せてはいけない国が多い。それに比べれば、現在の日本はあまりにも自由なので、行過ぎた自由による弊害ばかりが目立ち、本来の自由の意義を忘れがちだ。しかし、自由の否定はイスラム圏のような社会を招き、そして、それは中国や北朝鮮のような言論の自由がない社会につながることを忘れてはならない。

また著者は言う。「民主主義の根幹は国民主権です。主権在民です。・・・主権在民には大前提があります。それは『国民が成熟した判断をすることができる』ということです。・・・しかし、国民というのは一体、成熟した判断が出来るものなのでしょうか。」そして、それが出来ない根拠として、ドイツがヒットラーを選んだのも、戦前の日本が軍国主義政権を選んだのも、民主主義に基づく選挙だったと主張する。

たしかに、マスメディアは時代の流れに流されやすく、一般大衆は扇動に弱い。そのため、民主主義も万能ではない。しかし、民主主義の対極は独裁政治や専制政治だ。現在の北朝鮮よりまだ欧米や日本の方がましだと思うなら、民主主義の意義を否定するべきではない。

「たかが経済」か?

そして著者は言う。「競争社会や実力主義は、組織の繁栄には良いかも知れません。いかなる組織でも、構成員に激しい競争をさせ、無能な者からどんどんクビにして、有能な者のみを残し、新しい有能な者を採り続けるのが一番いいに決まっています。」そのため、「私は徹底した実力主義には反対です。終身雇用や年功序列を基本とした社会システムを支持します。」と言う。

しかし、市場主義経済も実力主義も世界の現実である。過去の日本が終身雇用や年功序列を実現できたのは、高度成長が続いたからだ。しかし、厳しいグローバルな競争にさらされる今後はそうはいかない。そして、敗者は市場から退場させられる。

また言う。「上に立つ人々が金銭を低く見て、精神性を重んずると、たとえ経済はさほど振るわなくとも、それより遥かに大切な国家の品格が保たれ、世界の尊敬を受けることができるのです。」「日本は、金銭至上主義をなんとも思わない野蛮な国々とは、一線を画す必要があります。国家の品格をひたすら守ることです。経済的な斜陽が一世紀ほど続こうと、孤高を保つべきと思います。たかが経済なのです。」

しかし、歴史を振り返ると、文化が繁栄したのはだいたい経済的に栄えた国であり時代である。ビクトリア朝のイギリス、ルイ王朝のフランス、エリザベス朝のイギリス、そしてさかのぼれば、ギリシア、ローマ、漢、唐など、古今東西を問わずみなそうだ。これらの国々も、経済的に衰退した時代には文化的繁栄も終わりを告げ、世界の尊敬を失ったのが歴史的事実だ。

「真の国際人には外国語は関係ない」か?

明治の初めに欧米に出向いた人たちは、一部の例外を除き英語さえままならなかったが尊敬されて帰って来た。それは、日本の古典や漢籍をよく読んでいたからだ、と著者は言う。それにひきかえ最近の若い人たちは、英語はペラペラしゃべるが中身が空っぽで、日本人のイメージを傷つけている、と言う。従って、「真の国際人には外国語は関係ない。」、「外国語よりも読書を。」と主張する。

しかし、今や英語圏以外の国の人たちとの仕事の話もほとんど英語だ。英語が不得手だったフランスやイタリアの店屋でも最近はだいぶ英語が通用するようになった。そしてインターネットの世界の公用語は英語だ。今や英語は一民族の言葉と言うより、世界の共通言語になりつつある。その共通言語を使って、情報を入手し、海外の人と直接コミュニケーションを取れるか取れないかでは、仕事の上でも、旅行や趣味の世界でも、活動の広がりがまったく違う。従って、今後は日本人も、英語を外国語としてでなく、日本語に次ぐ第2言語として使えるようになることが望ましいと思う。

英語の学習に力を入れると読書をしなくなるというのは、スポーツや音楽に力を入れると読書量が減るというのと同じで、両者にそんなに関係があるわけではない。また、バイリンガル環境で育った人たちの実態から見て、英語教育を早く始めすぎると日本語の学習に支障をきたすというのも疑問に思う。

本書は、大同小異の言説が多い中で独自な見解を展開している。それがベストセラーになった理由の一つなのだろう。しかし、21世紀の世界の現実を正しく踏まえているかというと、上記のように疑問が残る。現状認識に問題があれば、「欧米をはじめとした、未だ啓かれていない人々に、本質とは何かを教えなければいけません。それこそが、『日本の神聖なる使命』なのです。」という主張の品格にも疑問符がつく。


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