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No.318 酒 井 寿 紀 2003/11/11
トロンとマイクロソフトの歴史的誤解(2/2)
前号に続いて、トロンとマイクロソフトについての不適切な記述を挙げる。
(4) 「(トロンは)日米通商摩擦の標的一つになり、普及しなかった」1) 、「米政府は小中学校の教育用パソコンでトロンの普及を目指した日本の産学協同プロジェクトを『日本政府による市場干渉』と非難。経済制裁を恐れた日本政府やパソコンメーカーはトロンから手を引いた 。」2) 、「米国からの圧力でトロンパソコン計画は頓挫し、・・・」3) などの記述について。
米国のUSTRが1989年に、非関税障壁の一つとしてトロンを一時スーパー301条の対象品目として取り上げたのは事実である。しかしUSTRは、トロン協会の抗議文に対する返事で言っている。「米国政府はトロン協会の活動に対して反対するものではない。・・・(しかし、)政府の命令によってではなく市場の力によって、どのOS・マイクロプロセッサ及びコンピュータアーキテクチャが成功するかが決定されるべき。トロン以外の単一のOSが作動するコンピュータは、(財)コンピュータ教育開発センター(CEC)[筆者注:BTRONを小中学校の教育用パソコンの標準OSに選定しようとした通産省・文部省の外郭団体]の仕様に合わないし、トロン以外の単一のOSが動くPCの試作機は(CEC)には採用されなかった。」4)
USTRはトロンそのものをつぶそうとしたわけではなく、教育用パソコンとして、BTRON以外のOSだけで動くパソコン、つまりごく普通のマイクロソフト系やアップルのOSを使ったパソコンを認めないという政府の政策にクレームをつけたのである。これはお互いに貿易の自由化を促進しようとしている以上しかたがないことである。
本当にユーザーにとっていいパソコンなら、つまり安くて高性能で、アプリケーション・ソフトや周辺機器の品揃えが豊富になることが見込まれるなら、政府の支援などなくても普及したはずである。しかし、関連するソフトやハードが豊富に安く手に入るようになるためには、日本だけでなく全世界で普及することが不可欠である。全世界で普及することによってはじめてマイクロソフト系のパソコンに匹敵する価格や品揃えが実現できるからである。日本だけでの普及では、到底そういうことは期待できない。そして、もし全世界での普及が予想されたなら、日本だけでなく全世界のメーカーがほうっておかなかったはずである。
日本の一部の人を除いて、全世界で普及するものになると判断しなかったことが、BTRONが普及しなかった最大の原因である。米国の圧力はそれを多少加速したにすぎない。米国の圧力がなく、日本政府の支援が続いていたら、日本では多少普及しただろう。しかし、1990年代に入ってからBTRONが世界のデファクト・スタンダードの一つになったとは思えない。ということは日本でも遅かれ早かれ消え去る運命にあったのだ。全世界で普及することなく、1カ国だけで普及することなどあり得ないのがこの世界なのだ。
ITの世界では、もっとグローバルに問題を見ないと今後も判断を誤る。
(5) 次に、マイクロソフトに関する、「巨人・マイクロソフトも『独自路線』から転換したとみられる」1) 、「(マイクロソフトは)自社技術路線を転換した」5) などの記述について。
マイクロソフトの現在の繁栄のもとになったDOSは、1981年に同社がシアトル・コンピュータ・プロダクツから5万ドルで買い取ったものである。そして最近、同社は検索エンジンの「グーグル(Google)」を買収しようとしたと報じられている。このように、マイクロソフトは決して自社独自路線にこだわる会社ではない。
ビジネスに必要なものは、自社で開発するか他社から買ってくるかだが、必要とあれば他社から製品を買ってくるか会社ごと買収するのがマイクロソフトである。Windows CEのカーネルにITRONを使うことにしたのもその一環に過ぎない。今回は無料なのでマイクロソフトにとっては非常に安い買物だったわけである。
(6) 最後に、今回の「和解」とは無関係だが、ロイター通信が今年の7月に配信した「トロンの男はゲイツ並みの富を回避(TRON man shuns Gates-like fortune)」という記事の、「もし坂村(健教授)がトロンの各ユーザーに1セントずつでも要求していたら、簡単にゲイツに匹敵するような大富豪になっていただろう 」(筆者による訳)という記述について。
ITRONは1984年の登場以来、ずっとOSの仕様であり、OSのソフトウェアそのものではなかった。規定された仕様にもとづいてどういうOSを作る(インプリメントする)かはユーザーの自由で、ITRONの仕様に準拠したOSは、ソフトウェアハウスが商品化したものや電機メーカーが自製したものなど多数存在した。
ソフトウェエアの世界では、このようにソフトの外部仕様を提供するだけでは有料化はできない。その仕様を使う契約を交わさなくても、その仕様にもとづいたソフトを自製して使うことが合法的に可能だからである。カネを稼ごうと思ったら、ソフトの外部仕様の提供だけでなく、ソフト自身の提供が必要である。ソフトが提供されることによってはじめて、ユーザーは、カネを払ってそのソフトを買うのが得か、外部仕様にもとづいて自製するのが得かを判断することになる。
トロン協会がITRONのカーネルをフリー・ソフトウェアとして正式に公開したのは、トロン協会の「トロン沿革」4) によれば、2002年8月が最初である。そして、より整備された形でT-Kernelをオープンソースとして公開するのはこの12月の予定である。
いずれにしても、カーネルのソフトの提供を始めるまでは有料化の可能性はなく、それを始めたのはごく最近のことである。カネを要求することによって坂村教授が大富豪になれる可能性があるのは今後の話である。
われわれは上に列挙したような不適切な記述の裏にある真実をよく見極める必要がある。
1) 朝日新聞 9月25日夕刊 2) 日本経済新聞 9月26日 3) 日経ビジネス 10月6日号
4) 「トロン沿革」 トロン協会 ( http://www.assoc.tron.org/jpn/intro/enkaku.html )
5) 日本経済新聞 10月7日
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