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No.213 酒 井 寿 紀 2002/07/29
続・ITビジネスの勝者と敗者
ブラウザ
本誌No.112〜114「ITビジネスの勝者と敗者」に書いたように、ITビジネスの多くの分野で新技術の開拓者は技術力の優位性を守れず、後続の者にトップの座を奪われてきた。1) 本号ではブラウザについて状況を見てみよう。
World Wide Web (WWW)をはじめて考えたのは、ジュネーヴのCERNという核物理学の研究所にいたTim Berners-Leeというイギリス人である。彼は仕事の性格上世界中の資料を集めて整理する必要があり、全世界のどこからでも、誰でもアクセスできるデータベースがあれば非常に便利だと考えた。
1989年に彼はそういうシステムの開発をCERNに提案したが、受け入れられなかったため、自分で最初のブラウザとウェブ・サーバーのプログラムを作った。それはHTTPとかHTMLとかURLとか現在のWWWの基本になる仕様に基づくものだった。
彼はこれをCERNの中で売ろうとしたようだが、認められなかったため、1991年にインターネットで公開した。すると、ウェブ・サーバーに登録しておけば、個別の問いあわせにいちいち回答しなくても、それを見てくれと言えば済むので便利なため急速に広がっていった。これを使えば、もはや資料の要求者がどのOSを使っているか等心配する必要がなくなった。
しかしウェブの普及が進むと本来一本化されるべきウェブが大学関係と企業関係等に分裂するおそれが生じた。また、ソフトウェア会社が勝手に独自の仕様のブラウザを作るおそれも出てきた。Berners-Leeはこの状態を危惧し、ウェブの仕様の標準化に乗り出し、1994年にウェブの仕様の標準化の総元締めであるWorld Wide Web Consortium (W3C)2) を設立した。
Berners-Leeこそ現在のウェブの生みの親で、その潜在的必要性と、インターネットの普及による可能性を見通し、自らプログラムを書いてそれを実現した。そして、商売に結びつける気がなかったわけではないようだが、標準化の必要性を痛感し、自ら標準化の団体を設立した。そのため、彼は大金持ちにはならなかったが、人類により重要な貢献をした。
しかし、彼が考えたウェブはあくまで研究者用で、現在のウェブのように絵や写真を同じページにちりばめたものは頭になかったようだ。彼は画像を貼り付ける機能をHTMLに追加することに反対したという。
ウェブをインターネットにつながっているいろいろなクライアントから使えるようにするには、IBM PC、Macintosh、UNIX等、いろいろなクライアント用のブラウザを開発する必要があり、おもに世界中の大学生が競って開発を進めた。
そのひとりに、イリノイ大学のNCSA (National Center for Supercomputing Applications)のMarc Andreesenがいた。彼は1993年にMosaicというブラウザを作ってインターネットで公開した。それは同一ページへの画像の貼り付け、クリックでのリンク先へのジャンプ等、使い勝手を大幅に改善したもので、爆発的に普及した。
Andreesenは1971年生まれで、この年彼は22歳だった。彼はこれをビジネスにしたいと考えていたので、イリノイ大学を卒業するとシリコン・ヴァレーのソフト会社に就職した。
自分が創ったSilicon Graphicsの社長をやめてインタラクティブ・テレビジョンで新事業を起こそうと考えていたJim Clarkは、Andreesenのブラウザの技術をこの事業に使おうと考え彼にメールでコンタクトした。しかし、Andreesenは短期的にはインターネットの方がマーケットとして有望だとClarkを説得し、94年半ばに二人でMosaic Communicationsという会社を設立し、10月にブラウザをリリースした。
この会社は間もなくイリノイ大学から訴えられたが、94年12月に、社名の変更要求に対してはNetscape Communicationsと変更することで応じ、著作権の侵害に対しては300万ドル支払って片付けた。Netscapeは95年8月に上場し、ClarkとAndreesenは一夜にして大金持ちになった。そして、これがその後のアメリカのネット・バブルの引き金になった。
Netscapeのブラウザはビジネスとして大成功し、95年末には85%のシェアを占めたという。Netscapeはウェブを研究者の道具から一般大衆が日常生活で使う道具に広げた。
Microsoftは、93年頃にはインターネットに力を入れてなかったと、Bill Gates自身が認めている。3) しかし、インターネットとNetscapeの大人気にあわてて、Internet Explorerというブラウザの最初のバージョンを95年にリリースした。しかしこれは完成度が低く評判が悪かった。Bill Gatesは95年12月に「インターネット戦略」を発表し、今後インターネットに全力を挙げると宣言した。これはNetscapeに対する宣戦布告だった。
Internet Explorerは96年のバージョン2.0以降次第に品質が向上し、Windowsに無料で添付されていることが効いて、Netscapeのシェアを奪っていった。94年7月の司法省との和解で、Microsoftの行動には一定の制約が設けられていたが、「integrated products(組み込み製品)」の存在が認められていたため、ブラウザの組み込みが制約を受けることはなかった。Microsoftの法廷闘争のしたたかさは司法省を上回っていた。
こうしてNetscapeのブラウザのシェアは次第に減り、Netscapeは99年にAOLに買収された。ClarkもAndreesenもMicrosoftとの死闘にはあまり興味がなかったようだ。
OSに無料で組み込まれてしまうと、ブラウザだけの商売の成立は難しい。ここでも後発のMicrosoftが、OSの圧倒的シェアにものを言わせて、最終的に市場を制しつつある。
1) http://www.toskyworld.com/money/2001.htm
3) Bill Gates “Business @ the Speed of Thought” (邦訳 「思考スピードの経営」 日本経済新聞社)
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