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No.204 酒 井 寿 紀 2002/02/17
堺屋太一氏の「平成官僚は無能すぎる」という一文が文藝春秋の3月号に掲載されている。堺屋氏は先ず官僚の罪状を列挙する。(以下「…」内は同誌からの引用)
「1985年、国土庁は『東京のオフィス・ビル不足』の予想を発表しました。…この大はずれの予想が、土地ブームの火付け役となったのです。」
「官僚は需要の過大予測やバブルを作っただけでなく、金融緩和や公共事業でそれを増幅させました。そして地価上昇への非難が激しくなると、突如、金融引締めに転じて大不況を招きました。」
「(官僚の無能さの)まず第一は、『固定観念の罪』です。平成官僚は古い昭和の固定観念から抜け出せないのです。…すなわち、@人口は必ず増える。 A土地は不足している。 B経済は成長する。 C物価と賃金は上昇し続ける。 そして、D日本は孤立した島国である。…ところが現状は、この五つの現象が五つとも変わりました。…それなのに、官僚は固定観念を変えようとしていない。」
「平成官僚が犯した(もう一つの)大罪は、秩序破壊です。この責任を問われるべきは、文部科学省、警察、厚生労働省です。…まず、円周率3に象徴される教育の荒廃。…昨年、日本の警察の安全管理能力の低下を露呈したのは、明石で起きた陸橋での群集雪崩事故でしょう。…厚生労働省では、農林水産省と並び、狂牛病に対する対策の遅れが記憶に新しい。」
さすがにもと通産官僚だけあって、その指摘は的を射ていて、はなはだ手厳しい。
そして、これらの問題の根本原因へと話は進む。
「世界の潮流が知価社会へとシフトした今日も、官僚はまだ工業社会を目指して指導しているのです。…(金融の例では、)土地担保か大企業に融資すれば危険はない、という前提で指導し、…『護送船団方式』をとっていました。…ところが知価社会になると、事態は一変します。可変的で予測困難な知価を創造する事業を評価して、投資を行わなくてはならないのに、日本の金融機関には事業審査能力がない。官僚と一緒になって護送船団の安眠をむさぼっていたからです。」
ここでは堺屋氏は、日本の金融機関も官僚同様「無能」だったと言われる。しかし、ここで取り上げている件については、金融機関が直接の下手人で、官僚はその黒幕に過ぎない。「無能」さからの脱却を今後強力に推進する必要があるのは金融機関の方である。もはや官僚のご指導を期待する時代ではない。
「官僚機構はもちろん行政機能を目的とした機能組織(ゲゼルシャフト)です。…ところが終身雇用と排外人事を続けてきた結果、現在の官庁は、官僚の共同体組織(ゲマインシャフト…家族のようなもの)に転じてしまっています。…共同体になると、自分たちの居心地のよさが最優先されるので、内部競争のない年功序列人事が徹底されます。…また、身内意識が強固になると情報の秘匿が生じます。そして、外部に対しては平気で嘘をつき、しかも、それがバレてもまったく恥じないようになる。」
ここで「官僚機構」や「官庁」を「民間企業」に置き換え、「行政機能」を「事業」に置き換えれば、これはそのまま、多くの歴史の古い大企業に当てはまりそうだ。共同体組織から機能組織に変わらなければならないのは官僚機構だけではない。
「成功体験への埋没もひどいものです。…日本の官僚には、高度成長で成功した、近代工業社会を作り上げた、という自負があります。このため、同じコンセプトに固執し、ついには、失敗を悔いる、ということがなくなってしまった。」
これも、「日本の官僚」を「日本の経営者」に置き換えると、当てはまるケースが多そうだ。過去の成功体験が災いのもとになる可能性が高いことに気をつける必要がある。
そして堺屋氏は処方箋に触れる。
「第一に、外部から人材を登用し、組織原理を変えることです。…官僚共同体以外から大量に人材が入ると、共同体全体に緊張と反省が生じます。それだけが官僚をして真剣に考えさせる手法です。」
これも、民間企業にも当てはまりそうだ。海外では、IBMのルイス・ガースナー氏をはじめ、外部から経営者を招いて企業を立て直すのはごく一般的である。日本でもカルロス・ゴーン氏によって日産が復活した。今後日本でもこういう試みが増えるだろう。
こうして読んでくると、堺屋氏の指摘する官僚の無能さの大半はそのまま企業経営者にも当てはまることが分かる。
そして、堺屋氏は最後に言われる。
「いま、日本に必要なのは、官僚に国家主導の地位からご退場願うことです。それには、全国民が…官僚たちの行った失敗と怠慢を正しく認識し、その無能さを知ることです。」
それはその通りかも知れないが、これを読んだ企業の経営者が、「悪いのは官僚で、自分たちじゃないんだ」と思ったら困ったものだ。
堺屋氏が、官僚の大先輩として、後輩の官僚に厳しいのは分かるが、民間企業の経営者も同じ問題をかかえていることも言ってもらいたかった。
二人の息子が同じように悪いことをした時、兄の方だけ叱ると、弟は、自分は悪くないのだと思ってしまう。これは教育上はなはだ好ましくない。今迄は、兄はいつもいばっていて、弟は兄の言うことを聞かざるを得なかったのだが、これからは弟に、兄に頼らずに頑張ってもらわないといけないのだ。
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