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title.gif (1997 バイト)

No.101                            酒 井 寿 紀                      2001/01/01


「通貨が堕落するとき」…金融危機編

 

昨年の5月に、「通貨が堕落するとき」という本が出版された。(木村剛著、講談社) 1997年から2004年迄の、主として大蔵省と日銀を舞台とした小説である。この本が書かれた2000年の始め迄の「過去」についての「歴史小説」であるとともに、それ以降についての「近未来小説」でもある。著者は1962年生まれの、前に日銀に勤めていた方である。

取り上げているテーマは、金融危機とか、日米関係とか、財政赤字とかで、最近の日本経済の大問題に真っ正面から取り組んでいる。「歴史小説」の部分がどれだけ真実に迫っているかも、「近未来小説」の部分がどれだけ当たりそうかも、私には判断できないが、一読の価値があると思うのでその一部を紹介したい。

以下、「…」内は本書からの引用部分、(…)内は人物や企業のモデル等についての小生のコメントである。この本の巻末には、「この作品はフィクションであり、実在の人物や企業とは無関係である」と記されている。しかしこういう本を読むときは「モデル捜し」も楽しみのひとつだ。

 

先ず金融危機関係の話から、その一部を紹介しよう。

1997年11月に東北拓殖銀行(北海道拓殖銀行みたいな銀行(以下“みたいな…”がすべてに付くが、わずらわしいので省略する))が破綻した後、大蔵省銀行局の課長補佐は飲みながら言う。

「公的資金を導入するために、金融不安が必要なんだ。そのためには、東北拓殖銀行クラスの破綻が絶対に必要なんだ。地銀程度だとマスコミは理解しない。東京国際銀行(日本長期信用銀行)では大きすぎるが、関西相和銀行(阪和銀行)程度では足りないんだ」

「去年、これまでの慣例を破って、関西相和銀行にあえて業務停止命令を出したのは、公的資金を導入させるための世論を喚起するためでもあったんだ。あとで高田局長(山口公生銀行局長)にその意図を聞いたとき、俺は彼の深謀遠慮に戦慄したよ。しかし、(略)パニックらしいパニックが起こらなかった。(略) だから、もう一回り大きな生け贄が必要だと高田局長は判断したんだと思う」

そして高田局長は公的資金導入に成功した後、飲みながら言う。

「金融の企画・立案機能を金融監督庁に渡すわけにはいかない」「企画・立案が残れば(略)大蔵省の金融機関への影響力は依然として残る」「だから、公的資金を使ったのだよ」「ここまで金融危機が深刻化した。そして、公的資金の導入という財政上の要請が高まっている。そんな状況で、財政と金融の分離なんてできると思うかね」

つまり、民間金融機関の犠牲も、「国家の鼎である大蔵省の権力を守るためには仕方ない」というのである。

そしてこの公的資金の支給に当たっては、各銀行に申請させることになった。

北嶋総研(野村総研)のエコノミストのジェイソン・ダニエル(リチャード・クー)が米国財務省次官のラルフ・フィッシャー(ローレンス・サマーズ)を訪れて、この申請主義の正当性を訴えたという。何故か? 財務省の次官補は金融監督庁の課長補佐に電話で言う。

「そう、(公的資金を申請した各銀行に、)そのいい加減な金利を付けるお役目を担ったのが、北嶋證券(野村證券)だったわけだ。公的資金を申請した銀行1行につき3000万円は取ったらしいから、少なく見積もっても3億円くらいは懐に入れてるだろう。ジェイソンは5000万円くらいボーナスをもらったんじゃないか」

しかし結局、「(98年)10月23日東京国際銀行は初めての特別公的管理の対象になることが決定した」

そして、ドン・コックス(ティモシー・コリンズ)という青年実業家が社長をしているウィンドフォール(リップルウッド)という名の投資組合への売却が進められる。

「ウィンドフォールにとって東京国際銀行の買収は投資にすぎない。投資だから、ハイリスクに見合ったハイリターンをめざしてくる。少なくとも、利回り30〜40%を見込んでいるはずだ。だから、それに応えられるだけの公的資金を引き出せるか否かが腕の見せどころになる」

「紳士の身なりをした獣、それがドン・コックスであった」

この辺までがいわば「歴史小説」で、この先が「近未来小説」になる。

「(本銀行の買収に当たって)瑕疵担保理論の適用を勝ち取ったドン・コックスは、周到に準備した上で仕掛けに入っていた」 そして、「たった2年間のうちに3800億円以上のキャッシュが合法的にドン・コックスのモノになった」

2002年8月にはまたこの銀行の経営問題が発覚し、今迄に注入した公的資金6兆円に加え、さらに1兆円を注入することになる。しかし、それでも収まらず、2003年8月にはディリバティブ取引の損失の穴埋めとしてドン・コックスに5000億円を要求される。

そして日本政府は結局東京国際銀行の救済をあきらめる、という結末である。

 

米国資本にとってビジネスはゲームである。それに勝つ為に、敵の弱みに付け込んでできるだけ有利な契約を結び、そのルールをぎりぎりまで活用して勝負を進めるのである。これを「紳士の身なりをした獣」というなら、米国の、いや日本以外の全世界の、優秀なビジネスマンはみんな獣であろう。

弱みに付け込まれて、市場価格によって変る資産価値の目減りに対して瑕疵担保を認める等という、商売人としてはまったく非常識な契約を結んだ日本政府の方が悪いのだ。


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