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東南アジア5カ国訪問記

酒 井 寿 紀

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目    次

1. はじめに

2. インドネシア

  (1) 途方もなく大きい国    (2) サリム財閥    (3) インドネシア味の素

3. ブルネイ

  (1) スーパーリッチな国    (2) LNGプラント    (3) 三菱商事の農場

4. シンガポール

5. マレイシア

6. タイ

7. おわりに


1. はじめに

 東南アジアの5カ国を訪問した。もともとは勤務先(日立コンピュータ・エレクトロニクス、現:日立インフォメーション・テクノロジー)の上山社長が訪問の予定だったのだが、都合で急遽私がピンチヒッターを務めることになったものである。

 欧米、中国、韓国は何回も訪れたことがあるが、東南アジアは、ヨーロッパの帰りに2回上空を飛んだだけで、小生にとってまったくの初体験だった。

 それだけに、私にとってはびっくりするようなことが非常に多かった。今回訪問した国が、すべて日本と同じ左側通行ということさえ私は知らなかった。

 予備知識がほとんどない者の短期間の訪問の為、独断と偏見に満ちたものになると思うが、これらの国に興味のある方に少しでも参考になれば幸いと思う。

 この訪問は「社会経済生産性本部」の調査団に同行したものである。この団体は「生産性本部」と「社会経済国民会議」が統合したものとのことである。3年計画で東南アジア諸国の状況、特に華人の活動の実態を調査しており、今回はその2年目とのことだった。

 総勢は旅行会社の人も含めて18名。団長は、味の素の元社長の歌田さんで、団員は日本通運、あさひ銀行、東芝、九州電力等、実に様々であった。

 95年の11月27日から12月7日までの10泊11日で、インドネシア、ブルネイ、マレイシア、タイの4カ国を訪問するという計画だった。

 私の出張は出発の1週間前に突然決まった。東南アジアは始めてだったので、どうせ行くなら少し予備知識をと思って、日立製作所の情報事業本部の海外技術部で東南アジア関係の資料のコピーをもらい、飛行機の中で読むことにした。

 この時、前海外技術部で部長をしていた仙田さんが現在シンガポールにいることを知った。また前にデバイス開発センタの副センタ長をしていた喜田さんが確か東南アジアのどこかにいるはずだった。そこの藤田副技師長に電話をして調べてもらうと、シンガポールにいることが分かった。

  それなら途中でシンガポールに寄って二人に会いたいと思い電話をした。喜田さんはフィリピンに出張中だったが、秘書の人に頼んでフィリピンから日本に電話を入れてもらい、途中の土曜から日曜にかけて、私だけシンガポールに立ち寄って二人に会うことにした。

  事務局に差し支えないか聞くと、問題ないとのことで、また旅行会社に頼むと幸い航空券も取れた。これは月曜日に出発する前の週の金曜日のことだった。こうして私だけシンガポールにも立ち寄ることになり、5カ国を訪問することになった。

 

2. インドネシア

(1) 途方もなく大きい国

 

 

 初日の11月28日の朝食時に、ジャカルタのホテルで、日本大使館の神長公使他から、インドネシアの概況の話を伺った。

sudomo7.jpg (26553 バイト) 次に、スハルト大統領の最高諮問委員会の議長をされているスドモ提督 (Admiral Sudomo) を官邸に訪問した。この方はもうかなり年輩の方で、既に退役されていたが、肩書きから元の海軍大将と思う。達者な英語でインドネシアの状況を説明された。これは用意された原稿を読んだものだったが、途中で、

  「カラオケの歌いすぎで喉が枯れてしまって」

  と英語で言い訳し、質疑応答も英語であった。

 同行したインドネシア語の通訳が役に立たず、官邸の人(?)が英語をインドネシア語に通訳し、それを別の通訳が日本語にするという、珍妙なことになったが、3倍時間がかかる上に、一部の言葉が正確に伝わらず混乱を来した。同行した留学経験者が英語を直接日本語に通訳するようになって、やっと会見がまともに進行するようになった。

  この時の会見の記事が翌日の「インドネシアン・タイムス」の1面に大きく出た。

 その後、サリムグループを訪問し、アンソニー・サリム社長の話を聞いた。

 午後はハルタルト調整大臣を訪問した。この方は前の工業大臣で、現在は大統領と大臣の間の位置づけで、工業、貿易関係の省庁間の調整をする役職とのことだった。こういう調整役の大臣が内閣に3人いるとのことだった。この方は原稿なしで英語で話をされた。

 翌29日は、先ず東京銀行のジャカルタ支店を訪問し、阿部支店長の話をお聞きした。

 午後はジャカルタの郊外にある「インドネシア味の素」を訪問、佐藤社長他からお話を伺った。

 

☆ 途方もなく大きい国

 私にとっては、始めて聞く話が多かったが、先ず再認識したのは「途方もなく大きい国だ」ということである。東西約5,000km、南北約2,000 kmで、大小1万以上の島からなり、時差の為、3種類の時間を使っている。また人口は約2億人と日本の2倍に近く、民族はマレー系、中国系が中心だが、全体で300位ある。単に大きいだけでなく、民族、宗教などの種類が多いことがこの国の難しさとのことだった。

☆ イスラムの匂いが隅々まで

 ホテルで寝ていると、午前4時頃突然異様な音が聞こえる。何事かと思ったが、後で聞くとコーランの放送とのことだった。またホテルの部屋の隅に矢印が印されていたが、これはお祈りの為にメッカの方向を示しているとのことだった。また、東京銀行のジャカルタ支店は非常に立派なビルだったが、トイレの片隅に何か分からない物があるので聞くと、お祈りの前に足を洗うところとのことだった。

 1日5回お祈りをし、特に金曜日は、お祈りの為休みになるところが多いようだ。いわゆる断食月もちゃんと実行されているようだ。これだと企業活動にも相当な影響が出ると思われる。

☆ ハッキリしている国家目標

 現在は第2次25カ年計画(1994年〜2019年)、第6次5カ年計画(94〜99年)の最中とのこと。この間、年間7%の経済成長の継続が目標、と政府の幹部が全員口をそろえて言っていたのが印象的であった。日本では田中内閣以来こういう話はあまり聞かれなくなったが、この辺の国ではまだこういう長期的ターゲットの設定が重要なようだ。

 さしあたって、毎年250万人位増える人口の為の雇用の創造が大変と、これも多数の人が言っていた。これはシンガポール一国に相当する人口だそうである。

 貧困の撲滅、貧富差の解消が課題ともみんな言っていた。確かに、まだ街には子供の物売り、乞食が多い。

 しかしジャカルタは現在高層ビル、高速道路の建設ラッシュで非常に活気がある。

☆ 経済は完全に華僑が支配

 総人口の3%の華僑が経済の70〜80%を支配しているのが実態とのこと。93年までは10大財閥はすべて中国系で、94年になってやっと第8位に大統領の次男が登場したのだそうである。

 現在ジャカルタと空港を結ぶ高速道路を建設中だが、ガイドの話ではこれも大統領の娘の会社とのことで、華僑支配からの脱却が進みつつあるようだが、一方で大統領一族による政府関連事業の占有は、政変があったときの問題をはらんでいるようだ。但し当面現スハルト政権は安泰と見られているようだ。

☆ 人件費の実態

 運転手の月給が50万ルピア(25,000円)、労働者の時給が1時間3,000ルピア(150円)位とのこと。最低賃金を1時間4,000〜5,000ルピアに上げる話があるとのこと。日本の10分の1位か。但しこれはあくまでもジャカルタ等の大都市近辺の話と思う。一人当たりのGDPはまだ900ドル位で、日本の40分の1位である。これは山奥にまだ貨幣経済と縁の薄い人がたくさん住んでいるためではないかと思う。

☆ 銀行だらけのジャカルタの街

 ジャカルタの中心の大通りは、右を見ても左を見ても銀行だらけ。それも新しい大きく立派なビルが多い。東京銀行の阿部支店長によると、政府が期限を切って外国資本を誘致した為とのことで、ここ数年間で100行増えたのだそうである。貸出金利が25%のものもあるとのことで、銀行にとってはいいマーケットらしいが、それにしてもいくら何でも多すぎる感じがする。

 いずれ淘汰の時代が来るのではなかろうか?

☆ 英語が「第2公用語」

 スドモ提督も、ハルタルト調整大臣も、サリム財閥のアンソニー・サリム社長も、会見は全て英語だった。

  彼らの様子では、毎日英語の新聞・雑誌を読み、年中英語で外国人と話をしているという感じであった。

  日本の現状を見るとき、これからの国際的ビジネス活動では、日本人は大きいハンディキャップを背負うことになりそうだ。

 ガイドに聞いた話では、役所でも民間企業でも英語ができないと偉くなれないとのことだった。

☆ パソコン事情

 東南アジア諸国でどの位パソコンを使って通信ができるか調べてみようと、ノート型パソコンを持参した。 cc:Mail Mobile を使って、日本のオフィスと電子メールのやり取りをしてみようというわけである。

 ところが現地で二つの問題があることが分かった。一つはあわてて飛び出したために、200Vを100Vに変換するトランスを用意するのを忘れたことだった。

 もう一つは、各国でコンセントの形状が違うため、海外出張時はいつも4種類のアダプタを持って出るのだが、ジャカルタのシャングリラ・ホテルのコンセントはそのどれとも違うことだった。

 スドモ提督との会見をアレンジしてくれた、元海軍大佐のタラムさんという人に案内してもらって、ジャカルタのデパートや秋葉原の電気街のようなところを捜し回った。

  何軒目かの電気屋で、

   「パソコン用の電源を下さい」

  と頼んだら、1キロワットの、スーツケースにも入らないようなものを持って来たので、慌てて、

   「一番小さいものを下さい」

  と頼んで、やっと何とか使えそうなものにありつくことができた。

 このタラムさんがいなかったら私のパソコンは使えなかった。今はカリマンタン(前のボルネオ)で金鉱の仕事をしているとのことだった。

 ホテルの部屋で早速パソコンを使ってみると、日本との電子メールの送受信は問題なくできた。

 またジャカルタの CompuServe のアクセスポイントに電話でつないで、私が契約しているクリッピングサービス(新聞の切り抜きのようなもの)の情報を読みとることも問題なくできた。

 電話回線の品質とかホテルのPBXの品質はまったく問題がないようだった。

 これはブルネイのシェラトン・ホテルでもいっしょだった。

 ただその後で泊まった、クアラルンプールのヒルトンとバンコックのシェラトンでは、電話がモジュラー・ジャック方式になっておらず、パソコンをつなぐことはできなかった。

 パソコンを使うときはできるだけ新しく建ったホテルを選んだ方がいいようだ。

 

(2) サリム財閥

 サリム財閥を訪問したとき、他の役員が全員、背広にネクタイ姿で出てきたのに、一人だけサラサのシャツ姿で出てきた男がいた。その人がアンソニー・サリム社長だった。始めは変な人と思ったが、原稿もなしに英語で滔々と1時間位話を続けた。

  「まず『マクロ』の話、次に『ミクロ』の話をします」

  と言うので、何のことかと思ったら、「マクロ」とはインドネシアの歴史及び現状、「ミクロ」とはサリム財閥のことだった。

 話の途中で、

  「サリム財閥は民間企業間、あるいは政府と企業との間の Catalyst(触媒)として活動中です」

  と言い、ちょっと表現が難しすぎたことを察知するや、即座に、

  「Bridge としてです」

  と言い直すなど、気配りのよさ、頭の回転の速さも並々でない人と思った。

 

☆ ラーメンからコンピュータまで

 サリム財閥は現社長の父親が50〜55年前に中国から渡ってきて創業し、以後「design」されたというよりも、「accident」の積み上げで大きくなってきたとのことである。

 今や22万人の従業員を抱え、その2/3は国内、1/3は海外で、年間の売上が140億ドルのインドネシア最大の財閥であり、12の事業部からなり、ラーメンからコンピュータまで手がけている。

☆ 「Opportunity Driven」が社是

 サリムは「Technology Driven」や「Product Driven」でなく「Opportunity Driven」でやってきたとのこと。つまり、「ビジネスチャンスがあると見れば何でもやる」、逆に、「ビジネスとしての成算がなければ、たとえ人や設備や技術を抱えていても手を出さない」ということなのだろう。

 後で、同行者の一人が、

  「たとえ『Opportunity』があっても、家訓で手を出してはいけないことになっているものは何かありますか?」

  と質問すると、即座に、

  「売春とギャンブルと麻薬には手を出すなというのが家憲です」

  との答えが返ってきた。

  それ以外なら、ビジネスチャンスさえあれば何をやってもよいということのようだ。

☆ 会社と所有者の分離

 もう一つの家訓は、「会社とその所有者との分離」だと言う。

  「その理由は、会社の生命は無限だが所有者の生命は有限だからです」

  とのことだった。アンソニー・サリムは三男とのことで、三男坊が社長になったのはこの辺と関係があるのだろうか?

☆ コンピュータを駆使した計数管理の徹底

 22万人の大部隊を管理する方法としては、コンピュータの駆使、管理指標の標準化、予算制度/チェックリストの活用等に力を入れているとのことだった。(1)効率、(2)定量化 (Accountability, Measurability) 、(3)予知可能性 (Predictability) の三つが管理の重点目標とのことだった。

 システマティックで手堅い管理を目指している点に感心した。

☆ 中国は市、省単位で見よ

 「中国は非常に大きく、一つの国と見るのは正しくない。市とか省の単位で見ないといけません。現に1、2の市とか省に絞って販売している製品もあります」

  とのこと。さすがは中国出身の財閥だけに現地の実態をよく知り抜いているとの印象を受けた。

 

(3) インドネシア味の素

 インドネシア味の素は1969年に、現地の華僑系の資本と折半で設立され、現在は、従業員約1,000人、売上約1,400億ルピア(60億円)とのことである。

 工場はスラバヤの近くにあり、ジャカルタは事務所だけだった。

 販売部門は1,000人くらいの別会社になっている。

 

☆ 徹底した直販主義

 約1,000人のセールスマンが3人1組で、全国約25万の小売店、問屋を巡回して販売し、代金はすべて現金だそうである。これは多分、適切な販売チャネルがない為と、末端での市場ニーズの把握の為ではないかと思う。

☆ 現地消費者の購買力を重視した値付け

 いわゆる「味の素」は1袋25ルピア(1円)、「ふりかけ」は100ルピア(4円)で、一般の人に買ってもらえそうな値段を、日本の値段とは別に決め、その上で現地向けの包装等を工夫したとのこと。「ふりかけ」の袋には子供に人気があるという「ドラエモン」が印刷されていた。

 現地の会社になりきっている、という感じを受けた。

 

3. ブルネイ

(1) スーパーリッチな国

 11月30日にブルネイへ移動。ホテルでの会食時に永井大使、中村公使をお招きし、お話を伺った。翌日の12月1日は金曜日で、政府関係は休日の為、三菱商事の人の案内で、LNGのプラントと三菱商事の農場を見学させてもらった。

 

☆ 王様の国

 ブルネイはボルネオの北岸にあり、千葉県ぐらいの面積に、28万人が住んでいるという小さな国である。そして完全に「王様の国」である。国王が首相を兼務し、外務大臣と大蔵大臣は弟で、その他一族はすべて政府の要職に着いているとのこと。しかも62年の反乱以来戒厳令下で、議会は停止されており、政府がすべてらしい。

 レジャーランド、ゴルフコース、マンション、スーパー、等もすべて王族の所有とのこと。

 王様は大変な金持ちで、ガイドの話によると、車を300台持ち、しかもそのうち100台がロールスロイスとのこと。またイギリスに留学していたため、ポロが好きで、ポロ用の馬を600頭持っている。猫も好きで300匹いる、等々。われわれとは桁が違いすぎて、おとぎ話の世界のような生活をしているらしい。

  これだけもの集めが好きな方だが、奥さんはたった(?)二人とのこと。イスラム教では4人まで奥さんを持つことができるので、もちろん合法である。しかし奥さん達を全く平等に扱わないといけないとのことで、お金と体力が大変なため、何人も奥さんを抱えている人は今はもうほとんどいないと現地の人に聞いた。

  あとで伺った観光船の船頭さんのお宅にも王様の写真が飾ってあったが、左右にはちゃんと第1夫人と第2夫人の写真が平等に並べられていて、忘れてしまったが、どっちを右にするかもちゃんと決まっているとのことだった。

 王様は今でも年に2回、1カ月ぐらい英国に行かれるとのこと。

 好きなことだけやっているかというと、そうではなく、断食明けの3日間は、参賀の国民と一人づつ握手をするのだそうである。子供にはお土産をくれるとのこと。大変な人気で、その為に半日ぐらい行列に並ぶらしい。

 「農業保護のために輸入品に関税をかけるような話はないのですか?」

  との質問に、三菱商事の人は、

  「そんなことをしたら人気が落ちるので、王様はそういうことはしないのです」

  とのことだった。「人気取り」に気を使っている点は、先進国の政治家と同じようだ。

☆ 高所得・高福祉

 大卒の初任給が約2,800ドル(シンガポールドルと同額で約20万円)、大臣は3万ドル(200万円)で、しかも所得税も住民税もなく、その上、教育、医療は無料、市内電話も無料という夢のような国である。

 首都バンダル・スリ・ブガワンの郊外には、政府が住宅をどんどん建てており、ただ同然の金で入居できるらしい。

 物価の安さを考えると、日本よりはるかに豊かである。

 その主な財源は石油とLNGだが、在外資産の運用がこれに匹敵する収益をあげているとのこと。これが400〜500億ドルあり、専門の「省」がその運用に当たっている。日本では、野村証券と大和証券が運用しているとのこと。

 こういう国なので、「ハングリー精神に欠ける」ところが、共同事業等をする時の問題で、三菱商事の人が、

  「日本人なら1人でよい仕事に、現地の人は4人要る」

  と言っていた。

 現在、労働人口11万人の60%が役人で、みんな給料のいい役人になりたがり、肉体労働者はなり手がないようだ。その為、土木作業員等は、ほとんどフィリピン等からの外国人労働者で、月給500〜600ドル(3〜4万円)で働いているとのこと。

 いざというときに国王を守る軍隊まで、外国のグルカ兵とのことだ。

 金持ちの国だけあって、首都近辺の道路は非常によく整備されており、そこを真新しい日本とヨーロッパの車が走り回っている。

 最近王様が作ったというモスクは屋根が金張りの壮大な建物で、資料室では、コンピュータを使って、イスラム教の文献の検索ができるようになっていた。ガイドの話では建築費が400億円とのことだった。

☆ 水上集落 brunei2.jpg (23295 バイト)

 川の上で生活している「水上集落」というものがあるというので、現地人が小屋みたいなものに住んでいるのかと思ったら、大間違いだった。われわれを案内してくれた舟の船頭さんのお宅を見せてもらったが、居間は40畳位あり、大型の扇風機が8台天井に付いており、3台のテレビを5人の子供がそれぞれ見ていた。

 涼しい為と、マラリアの蚊が来ない為、何百年も前から水上に住んでいて、電気、電話、水道も完備しており、驚いたことに、学校、警察、消防署等、すべて川の上にあった。自宅から川岸まで、ボートのタクシーで行き、そこに止めてあるベンツなどの高級車で通勤するというのが普通ということだった。

  先進国の都会と違うのは、下水がないことぐらいのようだ。川が下水とのことだった。これを聞いたため、水上集落見学後の昼食に川魚が出た時は、みんな魚の皿には箸が向かわなかったようだ。

 ☆ 酒も、XXも御法度

 この国の住民はいっさい酒を飲めない。酒屋はもちろんなく、ホテルやレストランにも酒はまったく置いてない。ただし、外国人が自分で飲む分を持ち込んで、ホテルの部屋で飲むことは許されている。

  空港でわれわれがバスに乗って同行の旅行会社の人が出てくるのを待っていたが、いつまで経っても出てこない。やっと出てきたと思ったら、

  「済みませんが全員もう一度入国審査に戻って下さい」

  と言う。われわれ一行が飲む酒を、その人がまとめて最後に持ち込もうとしたところ、

  「これはとても一人で飲む分とは思えない」

  と言われ、全員の分だということを証明させられた。

 男女の交際も大変うるさいらしい。夜夫婦以外の男女が二人連れで歩いていると捕まり、その場で結婚の約束をさせられ、いやなら国外退去になると聞いた。結婚の約束はちゃんと村長さんのところに連絡されて、フォローされるとのことである。

 これらに替わる娯楽は、最近はもっぱら「カラオケ」とのことだ。酒を飲むところもないので、自宅に立派なカラオケセットを買って、しらふで歌っているらしい。

 石油に替わる産業として、政府はレジャーランドやゴルフ場の建設など、観光に力を入れているようだが、これでは海外のお客さんが寄りつかないのではないだろうか?

 

(2) LNGプラント

 LNGのプラントは首都から西に、車で1時間位行った海岸にある。これが唯一のプラントで、政府が50%、シェルが25%、三菱商事が25%の出資とのこと。海上からパイプで引っ張ってきた天然ガスを、ここで液化することにより体積を600分の1にし、ほぼ2日に1隻の割合で、専用のタンカーで積み出すとのこと。輸送先の90%が日本で、顧客は東京電力、東京ガス、大阪ガスの3社とのことである。

 現在の契約は、2013年までの20年間について毎年550万トンということで、この分については埋蔵量を確認済とのことである。その先はよく分からないようだが、今後50〜60年は大丈夫と言われているらしい。

 しかしこの国は石油や天然ガスが枯渇したらどうなるのだろうか?

 農業も工業もまったくないに等しいようだ。

 

(3) 三菱商事の農場

 首都の近くにある「マックファーム (MC FARM) 」という三菱商事が経営している農場を案内してもらった。石油輸入の見返りとして、政府に協力して、農業・牧畜を再建するために、いろいろな試みをしている。

 そのひとつは食用牛の飼育で、オーストラリアから、丈夫で飼育しやすい種牛を350頭輸入して、熱帯に合うように品種を変えて増やし、農家に配ったという。

 もう一つはトマトの水耕栽培で、主としてシンガポール向けとのこと。

 かつてはかなり稲作をやっており、自給率が60%位はあったらしいが、70年代のオイルショックによる石油の高騰で、みんな止めてしまい、農業は完全に崩壊したとのことである。

 周りの国からいくらでも買え、金はあり余るほどあるので、馬鹿馬鹿しくて百姓などやる気にならない、ということのようだ。

 

4. シンガポール

 翌日の12月2日の土曜日に、われわれ一行はクアラルンプールに移動した。私だけシンガポールに寄り、日立マイクロ・システムズ・アジアの喜田社長と日立アジア(HAS)でコンピュータの販売に従事している仙田さんに会った。

 二人は空港まで出迎えてくれ、喜田さんには次の日曜日に一日車でシンガポールの街を案内してもらった。

  シンガポールの街はクリスマス一色で、中心街のオーチャード通りの両側にはずらっと日立の看板が並んでおり、その力の入れ方には驚いた。

 街並みはイギリスの植民地だった為か非常にきれいで、ちょうど日曜日だった為、教会に大勢の人が来ており、周りのイスラム圏の国とはだいぶ違う雰囲気だった。


5. マレイシア malaysi3.jpg (34781 バイト)

 私は一行より1日遅れて、12月3日の日曜日の夜、クアラルンプールに入った。

 翌日は、先ず朝食時に日本大使館員のブリーフィングを受け、その後マレイシアの大蔵省にウォン副大臣を訪問した。

 次に、「戦略国際問題研究所」 (ISIS : Institute of Strategic and International Studies) というところを訪問し副所長の話を聞いた。これは1983年に設立された非営利団体で、外交、防衛、経済等の研究機関とのことだった。

 たとえば日本関係では、竹下登の「ふるさと創生論」のマレイ語訳等を出版している。今回の調査団の歌田団長の日本の消費者市場についての講演の英訳も出版されていた。

 午後は華僑系の財閥の人と会う予定になっていたが、先方が急に都合でヴェトナムから帰国できなくなったということで、急遽中国系の国会議員の代表との会見がアレンジされた。

 

☆ マレイ人対中国人

 マレイシアの人種構成は、マレイ人:中国人:インド人が、6:3:1、とのこと。

 中国人の比率がかなり高いのだが、現マハディール政権は、いわゆる「ブミプトラ政策」というマレイ人優先の政策を採っているため、中国人は独自の政党を結成して対抗している。

 この政党は、MCA (Malaysian Chinese Association) といい、現在60万人で、世界で2番目か3番目に大きい政党ということだった。

 この2人種は、それぞれ別世界でグループを作り、ことごとに対抗しているようだ。

☆ マハディール首相は1999年まで安泰?

 現マハディール政権がいつまで続くかが、この国の最大の問題らしい。最近の党大会で、96年の総裁選挙は実施しないことに決定したとのことで、99年まで現体制が継続することが実質決まったとのことである。

 但しもう70才で、数年前には心臓手術も経験しているため、健康上の不安は拭えないようだ。

☆ 「2020年迄に先進国入り」が目標

 平均7%の経済成長を、今後25年間維持し、2020年には工業をGDPの40%以上にして先進国の仲間入りをする、というのが現在の国家目標である。96年の成長率は8〜8.5%の見込み、と自信を見せる一方、インフレを心配していた。94年のインフレは、政府の公式発表では3.5%ということになっているが、これは統制品目の影響が大きく、生活実感としては10%位との話も聞いた。

☆ インターネットに注力

 出発前に、今回視察する国の情報を、インターネットで調べてみたが、中ではマレイシア政府がインターネットでの統計情報の公開に最も力を入れているようだった。

 お会いした中国系の国会議員のリン氏が、マレイシアの電気電子協会の会長でもあるというので、インターネットの状況について聞いてみた。

 現在加入者は1,000人位だが、MIMOSという専門の組織を作って推進しており、96年には加入者が12,000人位になるだろうとのことだった。

 その後最近も、日本の新聞で、政府が新たにホームページを開設の予定と報道されていた。

 近隣諸国も含め、インターネットにはかなり力を入れているようで、下手をすると日本より進んでしまうかも知れないと感じた。

 とにかく英語が日本よりはるかに日常化している点が有利だ。

☆ ここも英語の国

 この国でも、われわれの会った要人はすべて英語で会談した。

 公用語は一応マレイ語だが、中国系の人は必ずしもマレイ語がうまくなく、またマレイ語では、最新の技術や経済の話はできないようで、マレイシア内でも英語がかなり使われているようだ。

  その為か、英語で話し始めると、通訳のことを忘れてしまう人がいて困った。「英語で話せば通訳は要らない」というのが彼らの常識のようだ。

  

6. タイthai2.jpg (23514 バイト)

 12月5日に、最後の訪問国のタイのバンコックに入った。この日は国王の誕生日で、国王一族が車を連ねて市内を移動するというので、われわれの乗っていたバスは2回交通規制に引っかかった。

 翌日は、先ず朝食時に、大使館の石橋公使から、タイの概況についてお話を聞いた。次に、工業省を訪問し、チャイワット・シンスウォン大臣のお話を伺った。

 午後はサイアムセメント社を訪問し、アビラス副社長他の方から話を聞いた。

 夕食前の空き時間にホテルのそばのチャオプラヤ川の河畔でスケッチを1枚描いた。昔は日本ではこの川(メナム・チャオプラヤ)をメナム川と言っていたが、「メナム」はタイ語で「川」のことだそうで、これは例えば、アメリカ人が「隅田川」のことを「Kawa River」と呼ぶようなものとのことだ。

 

☆ 大人気の王様

 ちょうどタイに入った日が王様の68才の誕生日で、王宮近辺は大変な混雑だった。数年前に反乱があった時、大臣を二人ひざまずかせて仲直りさせたというあの王様である。王様を一目見ようと、半日も前から王宮に座り込んでいる人が大勢いた。ガイドの話では大変人気のある王様とのことだった。

 もう68才で、本来心臓のバイパス手術が必要とのことで、実力のある人だけに、後継者が国民の心配の種のようだ。ガイドの話によると、男の子供にはいろいろ問題があり、次女が頭もよく、国民の人気が高いとのことだった。反乱の時パリからラジオ放送で呼びかけたのもこの人という。

☆ 立往生のバンハーン政権

 現在のバンハーン首相は、タイ版田中角栄のような人で、中部タイの農村の出身で、土建業で身を起こし、現在は「Walking Teller Machine」と言われているのだそうである。大変なやり手だが、95年7月に首相になってからは、動きが取れないでいるとのことだった。

 ひとつには連立政権の弱みがあり、閣議が副大臣を含め49人も出席するため調整がつかないのだと言う。その上大臣の一人が麻薬疑惑で米国からビザ発行を停止されているとのこと。また大蔵大臣もハーバードのPHDで、奥さんは王族とのことだが、株価低迷の責任を負わされ、うまくいってないらしい。

 しかしこのように内政がガタガタなのは、それだけ民主主義が定着しているということで、インドネシア等一見政情が安定しているところより、いい面もあるのだということだった。

☆ 目を覆う交通渋滞

 バンコックの交通渋滞はひどいものだ。1時間位まったく進まないこともあるとのこと。空港へ行くときはよほど余裕を見て出ないと危ないらしい。

 高速道路やモノレールを建設中なのだが工事が止まっている。内閣が交替すると、前政府の契約はすべて見直しになり、工事がストップするのだという。

 いい面もあろうが、効率という面では問題のようだ。

 解決策の一つとして、地方の工業団地建設を推進中とのことだった。

☆ 華僑もタイ社会に融和

 マレイシア等と違い、タイでは華僑が現地社会に融和しているという。中国系もタイではタイ人だとのこと。

 イスラム教と違い、仏教の寛容さが融和にプラスしているようだ。

☆ タイ人の「心のやさしさ」

 チャイワット工業相が日本と合弁の自動車会社を視察した際、

  「タイの技術レベルは新技術の受け入れに大丈夫ですか?」

  という類の質問を予想していたところ、

  「タイ人の心のやさしさはこれから変わっていくのでしょうか?」

  と聞かれ、驚いたとのことだった。

  「心のやさしさを失わずに、技術のレベルアップを図りたい」

  と答えたと言っていたが、質問者が聞きたかったのは、

  「もっとクールに、ビジネスライクになる必要があると思いませんか?」

  ということだったのではなかろうか?

 タイ人のあまりにもにこやかな笑顔は今後のビジネスの世界では気になる点である。

 

7. おわりに

 こうして10日間の駆け足の視察はあっという間に終わってしまった。

 私にとっては始めての国ばかりで、毎日エスニック料理ばかり食べていたので、頭の中も胃袋の中もごちゃごちゃになってしまった。

 いずれにせよ、世界の政治、経済におけるこれらの国のウェイトは当面高まる一方であろう。

 どこの国でも日本以上に日本車があふれていたが、単なる市場として見るだけでなく、もっと多角的な関係を模索することが今後の課題であろう。

 

(完)

 

1996年1月 (第1版)

1999年7月 (第6版) 


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