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欧州航路今昔

ヨーロッパ今昔シリーズ (追補)

酒井 寿紀

はじめに

これまでに、ヨーロッパの14の都市について、新旧の同じ場所の風景を対比した写真集「ヨーロッパ今昔シリーズ」を発行してきた。

これらは、私の祖父酒井亀久次郎(サカイキクジロウ)が1905年から1925年にかけて2回ヨーロッパに出張した際買い集めた約100年ほど前の写真と、Googleの"Street View"で見ることができる最近の写真を対比したものである。

100年前には、ヨーロッパに行くには飛行機はまだ使えず、船によるしかなかった。祖父は2回とも太平洋、インド洋、スエズ運河を通ってヨーロッパに行った。そのため、ヨーロッパの諸都市の他に、この欧州航路で立ち寄った街々の写真も若干残っている。

ヨーロッパの街の写真については、製本された写真集と若干のバラの絵はがきがあり、当初は両方とも利用するつもりだったが、結果的には写真集だけを使い、絵はがきは利用しなかった。写真集だけで、主な建造物等が充分カバーされていたからである。

ところが、欧州航路の都市については写真集のようなものがなく、バラの絵はがきしかない。そのためこれを利用するしかないのだが、いろいろ問題がある。バラの絵はがきは体系的に揃った情報ではないので、重要な建物の写真がなかったり、つまらない現地の風俗を撮ったものがあったりする。その上、現在残っているのは、はがきとして使わなかったものと、妻(私の祖母)宛てに送付したものだけである。

そのため、内容が非常に断片的で、玉石混交なのだが、100年ほど前のアジア・アラブ諸国の一端に触れることができると思うので、「ヨーロッパ今昔シリーズ」の「追補」としてまとめておくことにする。 

新旧対比表

 

<<上海>>

No. 約100年前(1900~1920年頃?) 現在(2010~2020年頃)
1

 上海パレス・ホテル (Shanghai Palace Hotel) 
 1908年にパレス・ホテルとしてオープンした。
  高さは30mで、当時はバンド(外灘)で最も高かったという。

 
その後和平飯店の別館となり、現在はSwatch Peace Art Hotelになっている。
 当初は孫文や蒋介石が式典にも使ったという由緒あるホテル。

2

 ブロードウェイ・マンション (Broadway Mansions)
 わが家にある上海の古い写真は上記No. 1だけのため、この古い写真はWikipediaによるもの。
 この建物は1934年完成のため、他の古い写真より新しい。
 完成時には上海で最も高かったが、今ではより高いビルが多数ある。 



Wikipediaより (1930年代)

 

<<香港>>

No. 約100年前(1900~1920年頃?) 現在(2010~2020年頃)
1

 香港島 (Hong Kong Island) 
 本土から香港島を見たところ。
 古い写真を撮った場所は不明だが現在の写真の辺からと推定。

 建物は全面的に建て替えられている。

2

 セントラル・マーケット (Central Market)
 古い写真の建物は1895年に完成した第3世代のセントラル・マーケット。
 
その後何回も建て替えられ現在の姿になったという。

3

 時計塔 (Clock Tower)
 古い時計塔はカオルーン(九龍)-カントン(広東)間の鉄道の駅(香港の本土側)にあった。
 
駅が移転後、この塔だけが残されている。

 

<<シンガポール>>

No. 約100年前(1900~1920年頃?) 現在(2010~2020年頃)
1

 サウス・ブリッジ・ロード (South Bridge Road) 
 南西方向を見たところ。
 
道路の右側に塔が2本立っているのはジャマエ・モスク(Jamae Mosque)。
 その先に見える塔はヒンズー教の寺院の塔。 

2

 セント・アンドリュース大聖堂 (St Andrew's Cathedral)
 1856-1861年に建てられた教会。シンガポールの
ビジネス地区の中心地にある。
 教会の左手に見えたラッフルズの像は、ヴィクトリア・コンサート・ホールの前に移設された。
 現在シンガポール川の河口に建っている人工大理石の像はこのブロンズ像を元にして作られたという。

3

 HSBC本部 (Hongkong and Shanghai Banking Corporation)
 
古い写真は"Hongkong and Shanghai Bank"のシンガポール本部。
 地名"Collyer Quay"と岸壁の形状から現在の写真の場所付近と推定。
 
現在もこの辺がシンガポールの金融業の中心になっている。

4

 ロビンソン・ロード (Robinson Road) 
 写真はRobinson Roadを北東に向かう道。
 写真右手の平屋の建物の外観は昔のまま。

 他の建物はほとんど高層ビルに建て替えられている。 

5

 ニュー・ブリッジ・ロード (New Bridge Road)
 古い写真の撮影場所は不明。
 そのため現在の写真の場所は古い写真と違う



古い写真と同じ場所ではない
6

  ラッフルズ・プレイス (Raffles Place)
 
古い写真は西方向を見たところ。中央の屋上に天使像があるビルは"Raffles Chambers"。
 このビルは、紆余曲折を経て、現在は"
One Raffles Place"という複合ビルになっている。
 この広場の地下は地下鉄の駅になり、周りのビルはすべて建て直されている。

7

 シー・ヴュー・ホテル (Sea View Hotel) 
 1920年代頃のシー・ヴュー・ホテルは古い写真のような外観で、Meyer Roadにあったという
 
現在、古い建物は撤去され、Peach Gardenというコンドミニアム
になっている。

 

<<ジョージタウン(ペナン島)>>

No. 約100年前(1900~1920年頃?) 現在(2010~2020年頃)
1

 カピタン・クリン・モスク (Kapitan Keling Mosque) 
 19世紀の初めのイギリスの植民地時代に建てられたジョージタウン最古のイスラム教寺院。
 
イスラム教のインド人によって建てられた。
 他の遺跡と共に現在は世界遺産になっている。 

 

<<コロンボ>>

No. 約100年前(1900~1920年頃?) 現在(2010~2020年頃)
1

 グランンド・オリエンタル・ホテル (Grand Oriental Hotel) 
 ホテルは右の建物。改築されてれているが、新旧の建物とも"GOH"の表示がある。
 左の建物は”Victoria Arcade"。この建物も改築されている。 

2

 ジェネラル・ポスト・オフィス (Former General Post Office)
 1895年に完成し、2000年に別の建屋に移転した。

 道路の右側は、"King's House"または"Queen's House"だったが、現在は"President's House"である。
 道路の先に時計塔が見える。(「現在」の写真では下部のみ見える)

3

 ガフー・ビルディング (Gaffoor Building)
 
スリランカの宝石商ガフーによって1915年に建てられた。
 ビルは自社が使うだけでなく他の企業にも貸していたという。
 当初は3階だったが、現在は4階に増築されているようだ。

4

 コロンボ・クラブとゴール・フェイス・ホテル (Colombo Club & Galle Face Hotel) 
 古い写真の左、現在の写真の上は、コロンボ・クラブという1871年に建てられた白人専用の高級クラブ。
 読書、ビリヤード等に使われ、セイロン人の初入会は1956年という。

 
古い写真の右、現在の写真の下は、ゴール・フェイス・ホテルという1864年設立のアジア最古の洋式ホテル。
 ホテルの前はゴール・フェイス・グリーンという、競馬、ゴルフ等に使われた緑地帯。



 

<<カイロ>>

No. 約100年前(1900~1920年頃?) 現在(2010~2020年頃)
1

 サラディンのモスク  (Citadel of Saradin)  
 サラディンを祀って14世紀に城塞(シタデル)の上に建てられた。
 現在は下部が埋められているように見える。 

2

 スルタン・ハッサン・モスク (Mosque of Sultan Hassan)
 14世紀に建てられたカイロの代表的モスクの一つ。

 
「現在」の写真は城塞(No.1)の上から見下ろしたところ。

3

 ピラミッドとスフィンクス (Pyramid and Sphynx)
 
昔は前足の上まで人が行けたようだ。現在、左前足は砂の中から掘り出されている。
 頭髪、首の形が変わっているのは補修のためだろうか?





(上の写真の拡大)
4

 カスル・アン・ニール(?)橋  (Qasr el Nil Bridge) ・・・(アラビア語の読み方が不明のため(?)を付けてある)
 古い橋は1871年に建設され、現在の橋は1933年に架け替えられたものだという。
 道幅が広くなり、ライオン像の台座が低くなり、塔が新設されている。 

 

<<ポート・サイド>>

No. 約100年前(1900~1920年頃?) 現在(2010~2020年頃)
1

 レセップスの像 (Statue of Lesseps) 
 レセップスが1859年にスエズ運河の建設をはじめ、1869年に開通した。
 その功績をたたえ、1899年に銅像が建てられた。古い写真はその開幕式。
 しかし、これは何万という現地住民の犠牲によるものだと1956年に銅像は撤去された。
  (新しい写真の左 "The Arab Weekly" (2020/7/7)より)
 現在は台座だけが残っている。 (新しい写真の右)

   

おわりに

ウェブは貴重な情報の宝庫

ヨーロっぱの都市については、ベルリン等第2次大戦で壊滅的な被害を受けた都市は別にして、この100年間にほとんど変化がないところが多いことに驚いた。もちろん建て替えられた建造物も多数あるが、それでも隣り近所の建物は変わってないところが多く、昔の建物が現在のどの辺にあったのか、見当もつかないところはほとんどなかった。

ところが、アジアの都市についてはまったく違った。

例えば、香港の(No. 2)「セントラル・マーケット」がどの辺にあったのか、当初はまったく見当がつかなかった。これが分かったのは「セントラル・マーケット」の歴史について詳述したサイトが見つかってからだ。

また、シンガポールの(No. 7)「シー・ヴュー・ホテル」についても、当初はどこにあったのかまったく分からなかった。これが分かったのは、歴代の「シー・ヴュー・ホテル」について詳述したサイトがあり、1920年代の写真と今回使った写真が同じ建物で、場所も現在と同じだと分かってからだ。

他にも同様な例がいくつかあった。ウェブには非常に貴重な情報が多数蓄積されているということを実感した。この蓄積量は現在もどんどん増えつつある。そして、全世界で蓄積された情報を、自宅にいながらにして活用できるのだ。インターネットの出現は人類の知的活動にとって、まさに画期的な出来事だと思う。

分からないものも多い

とは言っても、上記のように場所が分かったものは限られている。

例えば香港の(No. 1)「香港島」の全景や、シンガポールの(No. 5)「ニュー・ブリッジ・ロード」のように、島全体、道路全体の景観が変わり過ぎていて、昔の写真がどの辺で撮ったものか推定が困難なものもある。

今後は、全体が変わり果てる前に撮って、例えば5年毎等の写真を見られるようになるようなので、こういう問題点については大幅に改善されそうだ。

欧米に比べ"Street View"の写真が少ない

ヨーロッパの主な街については、クルマが入れる道路はほとんどStreet Viewの専用車が走り回って360度の写真を撮り集めたものが多い。クルマが入れないところは、人が同様な機能のカメラを背負って歩き回って撮ったものもある。それもないところでは、旅行者等がスポットで撮った写真が地図上に登録されているものもある。そのため、最近は建物の内部の写真もかなり見られる。

こういう欧米の状況に比べると、アジア諸国では登録されている写真の量がまだ圧倒的に少ない。

そのため、例えばコロンボの(No. 1)「グランンド・オリエンタル・ホテル」や(No. 4)「コロンボ・クラブとゴール・フェイス・ホテル」等では、昔の写真と同じ角度で撮った写真がなかった。

これらの問題についても今後徐々に改善されていくと思われる。

 

 (完) 2022年5月5日


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